| 聖ミヒャエル教会は1015年、皇帝ハインリヒ2世によって建てられたが、1117年北イタリアで起こった地震で崩壊した。同年司教オットー1世によって新たに教会が建てられたが、それも1610年に焼失した。そして直ぐに新たな教会が建築された。1697年、大修道院長クリストフ・エルンストの依頼で、レオンハルトとヨハンのディーンツェンホーファー兄弟によって教会が、バルターザー・ノイマンとミヒャエル・キューヘルによって修道院が改築された(最終的に1743年まで続いた)。
修道院へ入る門をくぐって中庭に立つと正面に聖ミヒャエル教会が見える。修道院の建物によって囲まれた中庭は冬の時期だからか、中央の緑の芝も鮮やかではなく暗い印象を与えていた。ところでバンベルクと言えばラオホビアーという煙でいぶした麦芽を用いたビールで有名である。その燻製ビールは基本的にこの街でしか飲むことが出来ない。修道院にはフランケン・ビール醸造博物館もあるというので、是非覗いてみたかったが冬の期間は残念ながら閉館していた。
聖ミヒャエル教会正面入り口を見上げると、そこには大修道院長クリストフ・エルンストと、ノイエ・レジデンツを作った司教ローター・フランツ・フォン・シェーンボルンの紋章が確認出来る。その左右には皇帝ハインリヒ2世とクニグンデの石像が、一つ上の階の当たる部分にはマリア像を挟んで聖人ベネディクトと聖人オットーの石像が見える。
教会正面の階段を上って礼拝堂への扉を開いた。時計の針はまだ4時を回ったばかりなのに礼拝堂の中は既に薄暗く、中をはっきり見るのは難しかった。その中で自分の目が真っ先に向かったのは礼拝堂の天井だった。そのロマネスク様式の天井には1610年に描かれた586種類の花、薬草の絵がある。それ故これは「空にある庭園」と呼ばれる。しかも2度描かれた植物はない。かつて修道士はビールの醸造技術を持っていたように薬学の知識をも必要としていたが、天井にあるその庭園からも、その専門的な知識を窺い知ることが出来る。
内陣の方へ進むと、礼拝堂入り口からは分からないが、実は正面に祭壇が二つあるのが分かる。手前の祭壇裏側に回り込むと、内陣下部に1189年に没した聖人オットーの石棺が見える。ところでバンベルクのクリスマスマルクトはクリッペンマルクトと呼ばれ、市内の教会にはクリッペ(木彫りや粘土細工でキリスト降誕の風景を模したもの)が飾られる。大聖堂にもあったが、それよりも更に大きなクリッペが、この聖ミヒャエル教会の礼拝堂には飾られてあった。
聖ミヒャエル教会を見回ったあと、修道院のテラス側に回った。ここからはバンベルクの景色を一望することが出来る。しかし外は風が冷たく、とにかく寒かったので、修道院内にあるカフェ(レストラン)で一休みすることにした。扉を開けて中に入ると、カフェの中には客の姿はなく、営業しているのかどうかも分からない。掃除のおばさんのような人がやってきたと思ったら、席を勧めてくれた。そこでカプチーノを飲んで体を温めたあと、駅に戻ることにした。
|