やまねこの物語

おでかけ ドイツ・バウツェン

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時期

誕生日パーティー

2005年4月中旬

 

バウツェンの旧市街地を囲むようにしてある城壁と平和橋は中世、近世の面影を残している。

旧市街地を望む
旧市街地を望む


 

平和橋
平和橋
1908/09年にザクセン王フリードリヒ・アウグスト3世によって
建設された。現在、シュプレー川を渡って西側から
旧市街地へ入る唯一の橋である。

平和橋を望む
給水塔(右の黒い塔)
1877年に建設され、1000立方メートルの貯水量がある。

平和橋
平和橋
まるで橋の上に家々が立っているよう。
 

平和橋
平和橋
ドイツ語とソルブ語によるシュプレー川の看板。

平和橋から見た旧市街地
平和橋から見た旧市街地
 

ミヒャエル教会
ミヒャエル教会
言い伝えによれば1429年フス派から街の防御に
力を貸した大天使ミヒャエルに感謝して建設されたとあるが、
文書に記載が認められるのは1473年が始めてである。
1619年以降、バウツェンとその周辺地域のプロテスタントの
ソルブ人ための教区教会として利用されている。
 

平和橋から見た旧市街地
平和橋から見た旧市街地





 

平和橋から見た旧市街地
平和橋から見た旧市街地

アルテ・ヴァッサークンスト
アルテ・ヴァッサークンスト

アルテ・ヴァッサークンスト
アルテ・ヴァッサークンスト(右)
1558年、ヴェンツェル・レールシャイトによって建設された。
城壁の役割もなす。これによってシュプレー川の水が
市内に86ある管水路に分けられる。
 

シュプレー谷下から見た旧市街地
シュプレー谷下から見た旧市街地



 

シュプレー川と平和橋
シュプレー川と平和橋

シュプレー川と平和橋
シュプレー川と平和橋

平和橋
平和橋

 

シャルフェン橋
シャルフェン橋
1552年に建設された。
 

ミヒャエル教会とアルテ・ヴァッサークンスト
ミヒャエル教会とアルテ・ヴァッサークンスト

猫

僧侶の砦
僧侶の砦
1324年、内側城壁の7つの砦の一つとして建てられた。
他の砦が曲線を描いているのに対し、長方形となっている。
戦争時に僧侶によって守られたことに由来する。

漁師の門跡
漁師の門跡
1500年頃、この地に漁師の門があった。
ここを降りていくとシュプレー川に出られる。
1870年頃取り壊された。

レールシャイトの砦
レールシャイトの砦
建築家ヴェンツェル・レールシャイト(1510-82)に由来する。
1469年に漁師の門(現存しない)を守るために建てられた。
30年戦争中の1639年スウェーデン軍によって屋根が
破壊されたが1676年再建された。

レールシャイトの砦
レールシャイトの砦




 噴水
噴水

魔女の家
魔女の家
バウツェンで最も古い家の一つ。街を襲った大火や戦争の
被害を受けず残っている。名前の由来は女性のジプシーが
建物が守られるようにお祈りをしたということにある。
 

シュプレー谷下から見たミヒャエル教会
シュプレー谷下から見たミヒャエル教会

シュプレー谷下から見た城壁
シュプレー谷下から見た城壁

 ミュール門への坂道
ミュール門への坂道


 

ミュール門
ミュール門
1500年頃、シュプレー谷の登り道を守るために建設されたとされ、1606年現在のように改築された。谷からの穀物等が
ここから市内に運び込まれた。
 

リヒャルト・ライマンの碑
リヒャルト・ライマンの碑
彼(1840-1913)は街の歴史を編纂した。
 

ライマン通り
ライマン通り

 

ミュール砦
ミュール砦
1468年に建設された。砦の屋根にある目のような窓が印象的。
 

ミュール砦内のホテル
ミュール砦内のホテル
友人が泊まるというので部屋の写真を撮らせてもらった。
 

ブルク給水塔
ブルク給水塔
ブルク城への給水塔として1400年頃建設された。
ブルク城の最も古い箇所の一つ。
1535年には給水塔としてではなく、
城を守る砦として利用されるようになった。

ブルク給水塔
ブルク給水塔 

城壁
城壁

城壁
城壁

ノイエ・ヴァッサークンスト
ノイエ・ヴァッサークンスト
人口増加に伴い新たな給水施設が必要となり、
1606-10年、高さ45メートルの塔が建設された。

ノイエ・ヴァッサークンスト
ノイエ・ヴァッサークンスト

 

 

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