やまねこの物語

おでかけ ハンガリー・ブダペスト

旅の目的

時期

オペラ鑑賞

2004年12月下旬

 

今回のブダペストへの旅で僕が最も見たかった建築が郵便貯金局だ。ハンガリー独自の建築スタイルとして様々なところで紹介されている、レヘネル様式と呼ばれるそのスタイルは建築家レヒネル・エデン(1845-1916)に因んで付けられたもので、彼は既存の様式にハンガリーの伝統工芸のモチーフを採り入れて設計を行った。その彼の代表作の一つが1900/01年に建てられた郵便貯金局である。彼は装飾にもこだわり、タイルや天井の装飾にマジャル民族独特の刺繍のモチーフを選び、ハンガリー南部の都市ペーチにあるジョルナイ社のセラミックを大々的に使用した。

郵便貯金局が建っている通りに来ると、そのリズミカルな破風のラインから、この建物が直ぐにその郵便貯金局だと分かった。しかし通りが狭いので、全体像を見るのは難しく、通りの隅から見上げるだけで精一杯だった。ただ、見上げることしかできない、その通りの狭さによって、その垂直に延びる建築が更に垂直感を増しているようにも見える。建物は安定感を出す水平要素を極力廃し、幾つも並んだ縦長のアーチ型の窓から天に向かって伸びようとする躍動感が感じられる。また窓に映った空の色が、まるでこの建物が水中にあるようにも感じさせた。その「水面」部分に当たる屋根(破風)は、リズミカルな曲線を描き、その屋根にはレヒネルが「(人ではなく)鳥が見るだろう」と派手に装飾した部分の一部が見える。
 

郵便貯金局
郵便貯金局

郵便貯金局
郵便貯金局

街並み、街灯
街並み、街灯

街並み
街並み


自由広場は1886年、オーストリア軍の大規模な兵舎が取り壊された跡地に造営された。広場の北側にはアンタル・カーロイによって建てられた解放記念碑のオベリスクが建っている。1944/45年、当時ドイツによって占領されていたブダペストをドイツから解放した旧ソ連兵に捧げる碑である。旧東側の体制下では、ここに旧ソ連を意識する幾つかの記念碑があったが、民主化が進む中で撤去されたとのこと。ただこの解放記念碑に関しては、その下が旧ソ連軍の無名兵士墓地になっていることから残された。

ところでこの自由広場に面して大きな建造物が幾つか建っている。その中で最も大きな建物はハンガリー国立テレビ局の建物で、これは1905年、アルパール・イグナーツによって証券取引所として建てられた。ユーゲントシュティール様式の建物は広場中央に建つ解放記念碑と、その素材、色などから一体感をなして見える。

また国立テレビ局と同様に1905年に建てられたのが、ハンガリー国立銀行である。こちらは新古典主義を元に、ネオ・ルネサンス様式などを採り入れた建築となっている。どっしりとした重量感のある建物が国立銀行に相応しく思われる。またある一つの建物にはアメリカの国旗が翻っていた。アメリカ大使館である。旧ソ連に対する記念碑の前に建つアメリカ大使館の直ぐ近くには、国立テレビ局や国立銀行だけでなく、国会議事堂も建っている。その位置を考えると、民主化を進める(進めた)ハンガリーが、アメリカとの関係を重要としているのが窺える。

ところで僕がこの広場を訪れたときは、解放記念碑の回りにフェンスが設置されていた。同時にアメリカ大使館の前にもフェンスがあり、こちらでは検問もなされていた。今の時代、この広場は落ち着くことが許されないような流れがある。その意味においては、この広場では世界情勢の縮図を見ることが出来るかも知れない。
 

解放記念碑と国立テレビ局
解放記念碑と国立テレビ局

解放記念碑
解放記念碑

自由広場にあるフェンス
自由広場にあるフェンス

アメリカ大使館
アメリカ大使館
1899-1901年カールマーン・アラダールと
ウルマン・ギューラによって建設された。
ユーゲントシュティールの装飾が見える。

自由広場に建つ建物
自由広場に建つ建物

自由広場に建つ建物
自由広場に建つ建物

自由広場に建つ建物
自由広場に建つ建物

自由広場に建つ建物
自由広場に建つ建物

自由広場に建つ建物
自由広場に建つ建物

自由広場に建つ建物
自由広場に建つ建物

国立銀行
国立銀行

国立銀行
国立銀行

 

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