自由広場に建つ建物の間から国会議事堂が見えた。国会議事堂の建設には公募がなされ、その第一位に輝いたシュテインドル・イムレ(1839-1902)の案が採用された。彼は様々な国、時代の建築様式を学び、その結果、イングランドの国会議事堂のネオ・ゴシック様式をモデルにして、そこに数々の異なる様式を採り入れた折衷主義を設計の基本とした。
イングランドの国会議事堂をモデルにしたこと、それは単に川沿いに建つ建物の外観やイングランドという強い国家に対する憧れから来たものだけでなく、同時に他の列強国と同じように主権を持ち、独立した国家を顕示しようするハンガリー人の強い民族意識が感じられる。またそれを意識するかのようにルネサンス様式のドームの高さは聖イシュトヴァーン大聖堂と同じくハンガリーの建国年にあわせて96メートルにされている。
中庭の数は10あり、建物の長さは268メートル、幅118メートル、総面積18.000平方メートル、部屋数691と非常に大きな作りとなっている国会議事堂はその複雑な作りを安定させるため、当時まだ最新の技術であった鉄筋を使って建設された(ちなみに鉄筋といえば西駅は1877年に完成したもの)。また建物外側には合計88体の彫像がある。ハンガリーのかつての王や諸侯だけでなく、独立のために闘った人達の像である。これらはハンガリーの様々な彫刻家によって彫られた。
ところでこの国会議事堂は1884-1902年に建設されたが、それまで国会議事堂は何処にあったか気になるところである。それまではブダペストに国会議事堂はなく、プレスブルク、つまり現在のスロヴァキア領ブラティスラヴァに州議会が置かれていたが、1867年のオーストリア=ハンガリー二重帝国成立を機に州議会(国会)がブダペストに移されることになったということである。
僕が訪れたときは、ちょうど国会が開かれていたようで、内部拝観は出来なかった。ちょうどテレビカメラを持った人達が出てきたので、もしかすると重要な議案が話し合われていたのかも知れない。その国会議事堂前は1989年10月23日、数万の民衆で埋め尽くされ、新しいハンガリー共和国の樹立が宣言された場所である。
ところで国会議事堂の周辺には幾つかの銅像、記念碑がある。その一つに橋の上から国会議事堂を見つめる首相ナジ・イムレ(1896-1958)の銅像がある。彼は1956年、社会主義に反して民衆が蜂起したハンガリー動乱の首謀者だった。ハンガリー動乱は「ハンガリーの小スターリン」と呼ばれていたラーコシ(1892-1971)体制の下でのソ連及び政府に対する民族的な不満が、ソ連のフルシチョフのスターリン批判を契機に一挙に爆発したもので、ブダペスト市民はラーコシ政府の退陣とナジ・イムレの復権を求めて集まった。ナジは1953年首相に任命されたが、スターリン派の圧力により辞任に追い込まれていた。
その暴動の勃発と共にナジは首相の座に着き、それまで続いていた一党独裁の廃止と自由選挙を国民に約束し、ワルシャワ条約機構(当時)からの脱退と中立を宣言した。しかし、それに対してラーコシはソ連に助けを求めた。ソ連は社会主義の崩壊を恐れ、二度にわたる武力介入を行い、2週間で死者数千人を出すに到った暴動を鎮圧した。首謀者であったナジは社会主義体制にあった隣国のルーマニア軍によって拉致され、その後処刑された。(それ以来、ナジは反乱者として位置付けされていたが、ナジを始め当時動乱に参加した人物の名誉回復を掲げる「歴史的正義委員会」によって1989年6月16日、彼らの名誉回復と改葬式が行われた。彼らは無名墓地に墓標もないまま葬られており、それらを探して改めて埋葬された。)
そのナジ・イムレの銅像が橋の上から静かに国会議事堂を見つめている。その穏やかな目は国会議事堂を見つめていると言うよりはハンガリーの未来を見ているのかも知れない。その他、国会議事堂周辺(コシュート・ラヨシュ広場)には、1703-11年の間(自由戦争)、ハプスブルク家に対してハンガリーの独立を求めて闘ったトランシルヴァニアの諸侯フィレンツ・ラコーツィ2世の騎馬像(1937年、パストル・ヤーノシュ作)、1848/49年のオーストリアに対する独立運動を率い、有能な政治家であったコシュート・ラヨシュ(1802-94)の銅像(1952年、キシュファルディ・シュトローブル・ジグムンド作)がある。さらにコシュート・ラヨシュ広場の中央には1956と彫られた花崗岩で出来た碑があり、ここにはハンガリー動乱で犠牲になった人達に捧げられる炎が燃え続けている。また国会議事堂北側には1918年、共和国宣言をし、初代大統領になったカーロイ・ミハーイの銅像がある。
ところで国会議事堂の正面には目を引く建築がある。重厚感を持った民族博物館である。元々この建物は裁判所としてハウスマン・アラヨシュにより、1896年5月1日の建国千年祭にあわせて、1893-96年建設されたものである。新古典主義、ネオ・ルネサンス、バロックの様式が織り交ぜられた建物となっており、切り妻の上には馬車に乗った、ローマ神話で正義の女神ユスティティアの像がある。1957年、この建物はハンガリー・ナショナルギャラリーとして、1973年以降は民族博物館として利用されている。ここにはハンガリーの民族衣装や家具、陶器などの他に民芸品や日用品、ハンガリー各地の出土品などが展示されている。
国会議事堂にある過去のハンガリーの偉人達の彫像はハンガリーの様々な彫刻家によって制作され、ドームの高さも建国年にあわせて(下二桁をとって)96メートルにされた。また国会議事堂正面に民族博物館があり、周辺にはハンガリーの独立を求めて闘った人達の銅像、記念碑がある。ここはハンガリー人の民族意識と誇りを内外に示す場所となっている。
|