やまねこの物語

おでかけ ハンガリー・ブダペスト

旅の目的

時期

オペラ鑑賞

2004年12月下旬

 

マーチャーシュ教会の直ぐ側に漁夫の砦と呼ばれる白い石灰石で出来た砦が見える。ドナウ川に沿って建てられたこの砦は、マーチャーシュ教会を王の命によって改築したシュレック・フリジェッシュによって、1896年の建国千年祭にあわせて1895-1902年に建てられたものである。「砦」といっても実際に戦争で使われたわけではなく、その名前はかつて城塞のこのあたりを漁師組合が守っており、ここに魚の市が立っていたことに由来する。アーチ型の窓を持ったネオ・ロマネスク様式で建てられたこの建築にはマジャル人の7部族を表すように7つの塔があるが、その尖った塔は遊牧民の丸い組み立て式のテントを思い起こさせる。建国千年祭に合わせたと言うだけあって、ここでもハンガリー人の民族意識に触れることが出来るのは興味深い。

その漁夫の砦の中央に聖イシュトヴァーンの騎馬像が立っている。1906年に建てられたこの騎馬像の土台は砦と同じくシュレック・フリジェッシュで4つの面には、ハンガリーの国教をキリスト教に定め、初代国王になった聖イシュトヴァーンにまつわる話しが彫られてある。

漁夫の砦に上がると、そこは冷たい風が吹いていたが、そこから見えるブダペストの景色がその寒さを忘れさせた。ドナウ川の水面に映る国会議事堂や巨大なドームが目立つ聖イシュトヴァーン大聖堂の大きさがここから見るとよく分かった。 

聖イシュトヴァーン騎馬像と漁夫の砦
聖イシュトヴァーン騎馬像と漁夫の砦

聖イシュトヴァーン騎馬像と漁夫の砦
聖イシュトヴァーン騎馬像と漁夫の砦

聖イシュトヴァーン騎馬像
聖イシュトヴァーン騎馬像

聖イシュトヴァーン騎馬像
聖イシュトヴァーン騎馬像

聖イシュトヴァーン騎馬像
聖イシュトヴァーン騎馬像

漁夫の砦
漁夫の砦

漁夫の砦
漁夫の砦

漁夫の砦
漁夫の砦

漁夫の砦
漁夫の砦

漁夫の砦
漁夫の砦

漁夫の砦
漁夫の砦

漁夫の砦
漁夫の砦

漁夫の砦からの景色
漁夫の砦からの景色

漁夫の砦からの景色
漁夫の砦からの景色

漁夫の砦からの景色
漁夫の砦からの景色

漁夫の砦からの景色
漁夫の砦からの景色


まだ午後3時にもなっていないのに、陽が少し傾き始めたので、そのまま王宮まで行くことにした。三位一体広場にちょうどバスがやってきた。が、乗ったと思ったら直ぐに降りるほど王宮は近くにあった。そこから王宮に向かって歩くと、幾つものハンガリーの国旗がはためいているのが見える。またその向かいには王宮劇場がある。ここには元々13世紀頃、王ベーラ4世が建てさせた教会があったが、トルコ軍によってそれはモスクとして利用されるに到った。1686年、神聖同盟軍がブダの地を奪還した際、そのモスクは崩壊し、その地にカルメル会派の修道院が建てられた。そして1786年、皇帝ヨージェフ2世によって教会が廃止され、劇場として利用されるようになったのが、現在の王宮劇場である。建築家ケンペレン・ファルカシュがその改装に携わり、ロココ様式の外観で、1200人収容のホールを持つ劇場に生まれ変わった。初演はドイツ語のものが上演されたが、1790年10月15日、初めてハンガリー語の舞台が上演された。ハンガリー人にとってそれは非常に重要な出来事であったに違いない。王宮劇場の向かいに立つ、幾重にも重なって見える国旗が、そのハンガリー人の強い民族意識を改めて感じさせてくれる。
 

ハンガリー国旗のはためく道
ハンガリー国旗のはためく道


 
 

王宮劇場とシャンドール宮殿
王宮劇場(左)とシャンドール宮殿(右)
シャンドール宮殿は1806年、
ヴィンツェント・シャンドール伯爵のために
ポラーク・ミハーイが新古典主義で建てた宮殿。
1867-1944年、ここは大統領官邸として利用された。

ハンガリー国旗のはためく道
ハンガリー国旗のはためく道

夕日に向かって立つ彫像
夕日に向かって立つ彫像

 

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