西駅のかつての食堂で簡単な朝食を食べた後、友人が予約を入れていたペンションに向かうことにし、トラムに乗ってモスクワ広場まで向かった。旧東側を連想させるその名前が、未だに使われているのが興味深く感じられる。色々な交通機関が交差しているこの広場では、観光客が被害に遭うことも多いと聞いていたので、少し緊張して、出来るだけ背後に人が立たないように、またあまり観光客らしく見えないように意識をしていた。気持ち的に写真を撮る余裕もなかったので、この旅では場所を選んでゆっくりと写真を撮ることは少なく、どちらかと言えば通りすがりに撮ったといった感じのものが多い。
ところで見知らぬ街や初めて訪れる場所で乗り物に乗るとき、僕はいつも降りる駅(停留所)だけでなく、その2つ手前の駅まで名前を意識するようにしている。今回もそれに倣って2つ手前まで意識をしていた。が、ハンガリー語なので地名も発音もよく分からない。またいざトラムに乗ると単語の一部を忘れてしまった。今回覚えていたのは最後の「utca」だけで、読めないので僕はドイツ語読みで「ウトゥカ」と勝手に覚えていた。もう一度地図で確認すれば良かったのだが、そうすることによって自分が旅行者であると回りに悟られるのは良くないとも考えた。
トラムの中は混雑していた。元々車体が狭いというのもある。少なくともミュンヘンに走っているものと比べると随分狭い。また段差があるのでベビーカーと一緒に乗るのは大変であると思われる。トラムの中では次に停車する駅の案内も出るが、やはり現地の言葉が分からないと、理解するのが難しく、正しい駅で降り損ねてしまう可能性がある。トラムに乗って暫くすると「ウトゥカ」とあったので、そこで降りた。トラム内は混雑していたので、ゆっくりと確認出来なかったが、とにかくその名前が最後に付いていたので下車した。そこにある停留所の案内を見て気付いたこと。それはこの路線のほとんどが「ウトゥカ」で終わるのだ。どうやらこれは「〜通り」という意味で、その覚え方には全く意味がないと気が付いた。結局、間違った停留所で降りていた。
ブダペストに来る前、覚えていたのは「ありがとう」が(実際の発音とは少し違うだろうがカタカナで)「ケセネム」と、「お願いします、どういたしまして」などに使う「ケーレム」。それとよく利用する駅である西駅「ニュガティ」とミュンヘンへの列車が出る東駅「ケレティ」だった。ここにきて初めて「ウトゥカ」が「通り」(実際の発音は「ウッツァ」)、「テール」が「広場」というのが分かった。ちなみにブダペストは「ブダペシュトゥ」になる。
次に来たトラムに乗り、正しい停留所で降りて、友人が予約を入れていたペンションに向かった。友人の上司であるハンガリー人が紹介しただけあって、地元の人しか知らないようなペンションであった。通りには標識もなく、門の所に小さく看板があるだけである。夏の時期はツタが綺麗に咲いていると思われるそのペンションは、外から見れば全く普通の家と変わりない。市内から少し離れているので、実際に宿泊客がいるのだろうかと思わせるような雰囲気があった。
友人がチェックインをしたとき、空き室はあるかと尋ねると、「ある」ということだったので、宿泊先を決めていなかった僕はここのシングルルームをお願いした。その時知ったことだが、このペンションは全ての部屋がダブル用になっていると言うことだった。ちなみにこのペンションもユーロ支払いが可能であり、友人からこのペンションを予約したと聞いたとき、料金がユーロだったのも、僕がブダペストではユーロが使えると勘違いした原因の一つであった。部屋に案内され、窓の外を見てみると、ペンションは住宅街の中にあって、そこに観光地らしさは微塵も感じられなかった。しかし逆にそれが、ツアーではあまり体験出来ないような旅をしているという気にもさせた。ここで友人が部屋で少し休むと言ったので、僕はロビーのソファに腰掛けながら、そこに置いてあるガイドや持参したガイドブックを眺めていた。回りには人影が全くなく、静かな空間にスピーカーから流れるピアノの音楽だけが響いていた。
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