やまねこの物語

おでかけ ハンガリー・ブダペスト

旅の目的

時期

オペラ鑑賞

2004年12月下旬

 

ブダペストに到着してまず西駅に向かった。1877年、ブダペストに初めて作られた駅である西駅(ニュガティ)はパリのエッフェル社によって建設された。エッフェル社といえばパリのエッフェル塔を建てた(1889年完成)ギュスタフ・エッフェル(1832-1923)が中心となった建設会社である。西駅が建設された19世紀後半までの建築を見てみれば、石造りや煉瓦造りが一般的である。その時代に、この様な鉄骨作りの駅はブダペスト市民にどのように受け入れられたか想像すると面白い。ただホール部分は鉄骨だが、両側の建物や食堂などは従来の建築方法を採り入れている。それまでの建築と新しいものを合わせた建築ということを考えると、西駅は当時非常にモダンな建物であると思われていたに違いない。

ただ西駅が1877年に建設されたあと、1884年に同じく国際列車が止まる駅として東駅が建設されたが、西駅の鉄骨を使ったモダンな建物から一転してルネサンス様式の重厚感ある建物が建設されているのが面白い。街の表玄関としては、やはり重厚感のあるものが採り入れられたのだろうか。それだけでは判断出来ないが、西駅は当時、市民の意識する建築とは少し距離があったのかも知れない。

ところで西駅の当時食堂であった建物には、現在ファースト・フードのお店が入っており、「世界一美しいファースト・フードのお店」という謳い文句がついている。中に入ってみると天井が高く、シャンデリアを始めとする内装がその豪華さを演出しているのが分かった。この様な豪華な場所に手軽に食べられるファースト・フードのお店が入っているのは、何処か場違いかも知れない、そういった意見を目にしたことがある。しかし駅という場所柄、早く食事を済まそうとしている人や電車の乗り継ぎを待っている人などが利用すると思われるこの建物に、ファースト・フードのお店が入っているのは、もしかすると当然のことかも知れない。

そういえば西駅でミュンヘンへの帰りの切符を購入した。窓口前にはそれほど人が並んでいなかったので、直ぐに自分の番が来るだろうと考えていたが、なかなか進まない。自分の番になってみて分かったことだが、窓口での切符の発券は機械でなされるのではなく、全て人が手書きでし、また計算機を使って料金や割引を計算している。だから時間がかかっていたのだ。ハンガリー人だけでなく多くの外国人が利用する西駅でも、こういった古いシステムが使われているのに少し驚きを覚えた。
 

西駅
西駅

西駅
西駅

西駅
西駅

窓口
窓口

窓口
窓口

西駅前トラム乗り場
西駅前トラム乗り場

かつての西駅食堂
かつての西駅食堂

かつての西駅食堂
かつての西駅食堂

かつての西駅食堂
かつての西駅食堂

かつての西駅食堂
かつての西駅食堂


西駅のかつての食堂で簡単な朝食を食べた後、友人が予約を入れていたペンションに向かうことにし、トラムに乗ってモスクワ広場まで向かった。旧東側を連想させるその名前が、未だに使われているのが興味深く感じられる。色々な交通機関が交差しているこの広場では、観光客が被害に遭うことも多いと聞いていたので、少し緊張して、出来るだけ背後に人が立たないように、またあまり観光客らしく見えないように意識をしていた。気持ち的に写真を撮る余裕もなかったので、この旅では場所を選んでゆっくりと写真を撮ることは少なく、どちらかと言えば通りすがりに撮ったといった感じのものが多い。

ところで見知らぬ街や初めて訪れる場所で乗り物に乗るとき、僕はいつも降りる駅(停留所)だけでなく、その2つ手前の駅まで名前を意識するようにしている。今回もそれに倣って2つ手前まで意識をしていた。が、ハンガリー語なので地名も発音もよく分からない。またいざトラムに乗ると単語の一部を忘れてしまった。今回覚えていたのは最後の「utca」だけで、読めないので僕はドイツ語読みで「ウトゥカ」と勝手に覚えていた。もう一度地図で確認すれば良かったのだが、そうすることによって自分が旅行者であると回りに悟られるのは良くないとも考えた。

トラムの中は混雑していた。元々車体が狭いというのもある。少なくともミュンヘンに走っているものと比べると随分狭い。また段差があるのでベビーカーと一緒に乗るのは大変であると思われる。トラムの中では次に停車する駅の案内も出るが、やはり現地の言葉が分からないと、理解するのが難しく、正しい駅で降り損ねてしまう可能性がある。トラムに乗って暫くすると「ウトゥカ」とあったので、そこで降りた。トラム内は混雑していたので、ゆっくりと確認出来なかったが、とにかくその名前が最後に付いていたので下車した。そこにある停留所の案内を見て気付いたこと。それはこの路線のほとんどが「ウトゥカ」で終わるのだ。どうやらこれは「〜通り」という意味で、その覚え方には全く意味がないと気が付いた。結局、間違った停留所で降りていた。

ブダペストに来る前、覚えていたのは「ありがとう」が(実際の発音とは少し違うだろうがカタカナで)「ケセネム」と、「お願いします、どういたしまして」などに使う「ケーレム」。それとよく利用する駅である西駅「ニュガティ」とミュンヘンへの列車が出る東駅「ケレティ」だった。ここにきて初めて「ウトゥカ」が「通り」(実際の発音は「ウッツァ」)、「テール」が「広場」というのが分かった。ちなみにブダペストは「ブダペシュトゥ」になる。

次に来たトラムに乗り、正しい停留所で降りて、友人が予約を入れていたペンションに向かった。友人の上司であるハンガリー人が紹介しただけあって、地元の人しか知らないようなペンションであった。通りには標識もなく、門の所に小さく看板があるだけである。夏の時期はツタが綺麗に咲いていると思われるそのペンションは、外から見れば全く普通の家と変わりない。市内から少し離れているので、実際に宿泊客がいるのだろうかと思わせるような雰囲気があった。

友人がチェックインをしたとき、空き室はあるかと尋ねると、「ある」ということだったので、宿泊先を決めていなかった僕はここのシングルルームをお願いした。その時知ったことだが、このペンションは全ての部屋がダブル用になっていると言うことだった。ちなみにこのペンションもユーロ支払いが可能であり、友人からこのペンションを予約したと聞いたとき、料金がユーロだったのも、僕がブダペストではユーロが使えると勘違いした原因の一つであった。部屋に案内され、窓の外を見てみると、ペンションは住宅街の中にあって、そこに観光地らしさは微塵も感じられなかった。しかし逆にそれが、ツアーではあまり体験出来ないような旅をしているという気にもさせた。ここで友人が部屋で少し休むと言ったので、僕はロビーのソファに腰掛けながら、そこに置いてあるガイドや持参したガイドブックを眺めていた。回りには人影が全くなく、静かな空間にスピーカーから流れるピアノの音楽だけが響いていた。
 

トラム乗り場にあるベビーカーの標識
トラム乗り場にあるベビーカーの標識

モスクワ広場でトラムに乗る
モスクワ広場でトラムに乗る

モスクワ広場にあった建物
モスクワ広場にあった建物

ペンションの最寄り駅
ペンションの最寄り駅

ペンション
ペンション

ペンションの部屋
ペンションの部屋

部屋から見る景色
部屋から見る景色

中庭
中庭

ロビー
ロビー

ロビー
ロビー


そういえばロビーで一人、ガイドブックに目を通していた間も、他の客の姿は見られなかった。翌朝分かったことだが、僕たち以外にベルリンから来たという一組がいるだけで、他に客はいなかった。朝食時に一緒になったそのベルリンから来た人達に聞くと、彼らは何度かブダペストに来ているが、それまでホテルに関してあまり満足していなかったとのこと。そして偶然このペンションを知り、訪れてみて気に入ったのでここに何日間か泊まっているということだった。その間、彼ら以外に客はいなかったらしい。それだけ無名なペンションなのかも知れない。しかし逆に落ち着いた、のんびりとした宿泊を味わうことが出来るかも知れない。

そういえば朝、彼らが話し掛けてきたとき、英語で声をかけてきた。僕たちがドイツ語を話し、ミュンヘンから来たと分かると、彼らはドイツ語で話し、また「バイエルン語はドイツ人にとって難しい。バイエルンは外国のようだ」と話した。彼らと別れるとき、その時会話に出ていた「Servus!」と彼らは言ったが、これは南ドイツやオーストリアで話される方言で「じゃあ」といった感じの言葉である。ブダベストで日本人相手にバイエルン方言を使ったというのは、彼らにとって一つの旅の思い出になっているかも知れない。その後、何気なくガイドブックを見て知ったことだが、この「Servus!」をハンガリーでも「Szervusz!」として使われているのが分かった。先のベルリン出身のドイツ人たちは、話の内容から察すると、彼らはそれを知らなかったようだが、オーストリアの隣国、ハンガリーでそれが使われているのは、やはり同じキリスト教文化圏だからか、いずれにしても民族的な交流があったと分かる。
 

 

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