小一時間すると部屋で休んでいた友人がロビーに出てきた。それから友人の、ブダペストの知人に会うため市内に向かった。その際、地下鉄を利用したがブダペストの地下鉄は非常に面白く感じられた。
市内を走る地下鉄はM1、M2、M3と3路線あって、それぞれ黄、赤、青と色分けしてあって分かりやすい。個人的に面白いと感じたのは、古いM1と、別の意味で古いM2、M3の、それぞれの「古さ」である。1896年5月2日に開通したM1線はロンドン(1863年)に次いでヨーロッパで2番目に古い地下鉄である。896年に建国されたハンガリーの建国1000年を祝って建設されたことからミレニウム(千年)線とも呼ばれ、また当時のオーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝であったフランツ・ヨーゼフの名前を取って「フランツ・ヨーゼフ線」とも呼ばれている。
M1番線は地下鉄といっても地上地面すれすれの所を走っている。当時は地下に大きな建築物を造る技術がなく、その深さも地下3メートル以内とのこと。地下に鉄道を通したと言うよりは、地面を深く掘ってそこに電車を通し、フタをしたといった感じだろうか。それ故、階段を数段下りると直ぐにホームに出る。地下にはホームしかないので、反対方向に進む地下鉄に乗るには、階段を上がって地上に出て、道を渡ってまた地下に降りなければならない。
ところでM1番線のホームへ降りる階段も風情があって興味深く感じられるが、中でも印象的だったのは、そのホームだ。初めてこの地下鉄ホームを目にしたとき、まるで映画のセットのようにも感じられた。それらは1996年、開通100周年を記念して、建設当時の姿に復元されたとのことだが、そこを走る小さな地下鉄に乗って、それぞれの駅を見ていると、まるでまだ皇帝が生きている時代のようにも感じられ、メロディー付きのアナウンスもどこか郷愁を覚えるものがあった。
そういった古さを持ったM1と違って、M2、M3はそれぞれ1970年、1976年に開通している。M1が全長5キロ、11の停車駅であるのに対し、M2は全長10キロ、12の停車駅、M3は全長18キロ、20の停車駅と、長い区間を走っている。しかもM2は完成までに23年間も要したということ。これらの路線は非常に深いところを走っているので、それだけ年数がかかっているのだろう。深いところにあると言うこと、これらはもしかすると防空壕、核シェルターの役割があったのかも知れない。
こちらの路線に感じた「古さ」は、その車両にある。旧ソ連製の車両を使っていると言うことだが、何処か鉄のかたまりといった感じがして、旧共産主義時代のような香りがする。これは車両によって違っていたが照明の付け方も、丸い照明が幾つも並んでいて面白い。地下での明るさを必要とするのにそれだけの照明を要するのだろう。またM2、M3線はレールの音か定かではないが、少し騒音がある(M1線はゆっくりなので、騒音はあまりない)。そういった現在ではあまり感じられない、騒音のうるささも古さを感じさせるものである。
ところでM2、M3線は非常に深い場所を走っているが、そのホームへ行くエスカレーターがまた驚きだった。とにかく早い。特にミュンヘンのエスカレーターの早さと比べると、ミュンヘンのものが非常にのんびりとしたものに感じられるほど、ブダペストのエスカレーターは早い。またエスカレーターに乗る人を見て感じたのは、どちらか一方を開けるということが、ないと言うことである。ミュンヘンでは基本的に右側に立つ。そして左側は歩く人のために開ける。つまりそこには選択の自由がある。ただ乗るだけでも、また歩いても良い。しかしブダペストのエスカレーターに選択はない。まるでベルトコンベアーにモノを載せるように、一気に進む。乗った人全員が同じ速度で「運ばれ」る。このエスカレーターこそが、今回のブダペストの旅で、最も共産主義的だと僕が感じたことである。同じように運ばれるので、どちらかに立つという風習も存在していないようだった。
また時間に対する感覚も面白い。それは地下鉄の電光掲示板に表れていた。例えばミュンヘンの地下鉄やトラム、バスなどの駅や停留所に設置されてある電光掲示板では「あと何分後に来る」と表示される。しかしブダペストの地下鉄で見たものは「今の電車が出て行ってから何分何秒経過した」というものであった。
そういえばブダペストの交通機関では検札が頻繁に行われていると聞いた。その噂通り、一日目は数回検札が来た。しかも同じ電車に乗っているときに2度検札が来ることもあった、しかし翌日、翌々日、何度も交通機関を利用していたにもかかわらず検札は一度も来なかった。
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