| ところでミュンヘンのバイエルン州立歌劇場の中へ入るとき、人はまず劇場前の階段を上がらなければならない。それが自ずと、これから格式高い世界に足を踏み込むのだという気持ちにさせる。その演出は広場に面して立つ建物なら尚更その効果があると思われる。しかしブダペストの国立歌劇場は、通りに面して建てられており、そういった大きな階段もないので、これから劇場に足を踏み入れる人々の気持ちを高ぶらせるのに、建物のその外観だけでは難しいようにも思える。
そんな印象を抱きながら歌劇場内に足を踏み入れた。入った瞬間、思わず歩みを止めてしまった。歌劇場内は非常に派手である。上品な世界と言うよりは派手さを演出している。これらを目にすると建物の外観では得られなかった気持ちの高ぶりを感じられるかも知れない。またこういった空間は社交場として相応しいのかも知れない。
ハンガリー国立歌劇場の初代劇場総監督はエルケル・フィレンツ(1810-93)で、その後にはマーラーやプッチーニもこの劇場で指揮を振った。また劇場正面入り口の左右にはシュトローブル・アラヨシュ(1856-1926)によって作られたエルケルとリスト・フィレンツの彫像がある。ハンガリーを代表する二人の音楽家が劇場を見守っている。
中に入り、大理石の上に赤絨毯が敷かれている階段を登り、観客席に足を踏み入れた。1200人収容という観客席はそれほど大きいとは感じなかったものの、とにかくその派手さには目を見張るものがある。音楽を聴いていなくても、金と赤色を基調とした観客席を見ているだけで気持ちが高ぶってくる。皇妃エルジェーベトがここを好んだと言われているが、それも分かるような気がした。この劇場の初演は1884年9月27日、エルケルの指揮で自身の「バーンク・バーン」が演奏された。そのこけら落としには皇帝フランツ・ヨージェフの姿もあった。観客席に入って後方を見上げると、当時、皇帝達が座っていた桟敷席が見える。あの席に皇妃が座っているのが見えたら、たとえオペラ上演中であっても舞台に集中出来ず、後ろばかり気にする人がいたかも知れない。
観客席の中も徐々に人が増えてきたので、自分の席を探して席に着いた。暫くするとハンガリー語、英語、ドイツ語のアナウンスがあった。「公演中は写真などを撮らないように、また携帯電話を切っておいてください」と言ったものだが、3カ国語によるアナウンスは、この劇場の観客がそれだけ国際的と言っているようにも見える。
今回観たオペラはヴェルディ「マクベス」で個人的には好きな作品の一つである。オペラの方は歌よりも光を使った演出の方が印象に残った。オペラの場合、同じ演目でも例えば指揮者や歌手、演出が替わるだけでその印象も大きく違ってくる。ハンガリー国立歌劇場で見たマクベスは、それほど舞台転換もなかったが、光を使っての演出は人の心、内面を表現しているようで観ていて面白かった。
ところでこの劇場において最も驚いたのは、休憩が終わって次の幕が始まるときだ。バイエルン州立歌劇場の場合、休憩の終わりを告げるベルは数回鳴らされる。最初のベルが鳴ってから照明が落とされるまで10分ぐらいあるかも知れない。だからベルが鳴ってから、お手洗いに行く人もいる。それでも間に合うのだが、ハンガリー国立歌劇場では休憩終了のベルが(確か)2度鳴ると、ドアが閉められ、直ぐに照明が落とされた。
バイエルンでの場合と同じように、のんびりしていたらいきなり暗くなり、自分の席が分からなくなった。空席になっているところで、確かこの辺りと思ったところに座った。前列を見れば大きく空いている。先の幕では一杯だったはずだ。しかも座席にショールなどの持ち物もおいてある。この人達は休憩時間中に戻ってこれなかったのだろう。後で友人に聞けば、照明が直ぐに落とされたので友人も自分の席が分からなくなったらしい。しかも座席の列はローマ数字で表記されているので一見しただけでは判断しづらい。だから友人は空いている別の席に座っていたとのこと。と言っても、自分も本来の席より2列前に座ってしまっていたのに気が付いたのは、その幕が終わって次の休憩に入ったときだった。
オペラが終わったあと、現地に住む日本人の方々とお会いした。その中の方に予約してもらっていた歌劇場近くのレストランに向かった。そこは生演奏がなされ、オペラ帰りの人が立ち寄るといった雰囲気で、お店の人の接客態度などから判断すると、少し高級感があるお店だった。そこではカプチーノとクリスマスの時期ならではというデザート(ケーキ)をご馳走していただいた。その後、車でペンション近くまで送っていただき、お礼を述べて分かれたが、一日を振り返ってみれば実に長い一日であった。その日は夜行で早朝にブダペストに着き、緊張しながら街を回った。本来なら疲れているはずなのに、明日の予定などを考えていると、横になっても直ぐには寝付けなかった。
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