| 英雄広場から地下鉄を使って泊まっていた場所に戻り、朝食を食べてから友人と一緒に観光に出かけた。といっても友人は既に何度もこの街を訪れたことがあるので、どちらかと言えば僕を案内してくれた格好だ。まず最初にリストが以前住んでいたリスト・フィレンツ記念博物館に足を運んだ。1875年ここにリストが音楽院を開き、現在も旧アカデミーの名称で呼ばれている。建物の壁にはリストとエルケルの碑があり、またリストによる「火、木、土の午後3〜4時に帰宅」と書かれたプレートが博物館の入り口に掲げられてあった。
ところでリスト・フィレンツ記念博物館があるアンドラーシ通りはペスト側エルジェーベト広場から英雄広場まで延びる大通りで、道幅も広くブダペストで最も美しい通りといわれる。この通りは1872年、当時の首相であったデューラ・アンドラーシによって敷かれた。その当時は単に放射状という意味の「シュガール通り」と呼ばれ、首相が亡くなったあとは、彼の名前を取り「アンドラーシ通り」と名付けられた。しかし旧東の体制下の1947年には「スターリン通り」、ハンガリー動乱があった1956年には「ハンガリー青年通り」、そして1957-90年の長い間、人民共和国通りという意味の「ネープケスタールシャシャーグ通り」となった。旧東側の体制が崩壊した現在は再び「アンドラーシ通り」に戻されたが、この通りはその重要さ、美しさからか、絶えず時代の波にもまれ続けてきた。そういった長い歴史を背負っている。
ところでこの通りを挟んだ一帯には高級住宅街や大使館も多く、落ち着いた地区となっている。それ故かアンドラーシ通りの両端にある歩道は、かつて馬専用の道だった。またこの通りの地下に1896年、ブダペスト最初の地下鉄M1線が開通し、英雄広場まで地下鉄で行けるようになった。そういったことを見ると、やはりこの通りはペスト側で最も重要な通りの一つに挙げられるかも知れない。
英雄広場、リスト・フィレンツ記念博物館、国立歌劇場、国立バレエ学校など、落ち着いた建物が多く建ち並ぶ、この通りを僕は何度か歩た。広いこの通りを歩くと、通りの名が何度も替わるほどに歴史がある通りにもかかわらず、現在の通りはそういった歴史を過去に置いてきたようにも感じられた。そういえば現地の方に車で送っていただいたときも、ここを通ったが、夜イルミネーションがなされたその大きな通りは、まるで光のトンネルをくぐっているようで、その華やかさがブダペストの繁栄を象徴しているようでもあった。
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