やまねこの物語

おでかけ ドイツ・バイロイト

旅の目的

時期

観光

2006年4月中旬

 

    フリードリヒ通りは辺境伯ゲオルク・フリードリヒ・カールによって計画された石畳の通りであるが、ここは非常に落ち着いた通りだった。通りを歩く人をほとんど見かけなかったが、それでも寂しいという感情よりも落ち着いた雰囲気がしていた。石畳が雨に濡れて街の優しさをより引き出している。通りに建つ建物は、所々に黒くなったものがある。それは単なる汚れか、それとも空襲の面影か、または含まれている鉄分が錆びたものかも知れないが、いずれにしても落ち着いた雰囲気を演出している。

フリードリヒ通り
フリードリヒ通り

フリードリヒ通り
フリードリヒ通り

かつてのエルロット邸の門
かつてのエルロット邸の門
辺境伯夫人ヴィルヘルミーネの大臣だった、
フィリップ・アンドレアス・フォン・エルロットのために
1743/44年に建てられた。

大臣フォン・エルロットの紋章
大臣フォン・エルロットの紋章


 

ジャン・パウルの碑
ジャン・パウルの碑

ジャン・パウルが亡くなった家
ジャン・パウルが亡くなった家
この家に1813-1825の間住んでいた。
現在はジャン・パウル薬局が入っている。

シュタイングレーバー社
シュタイングレーバー社
1754/55年、ジョセフ・サン=ピエールと
カール・フィリップ・
クリスティアン・フォン・ゴンタルトによって建てられた。
1871年よりピアノメーカー、シュタイングレーバー社が入っている。
 

シュタイングレーバー社
シュタイングレーバー社
ヴァーグナーはシュタイングレーバー社のピアノを
音楽祭のプローベ(練習)で使用していた。
また「パルジファル」のガラス鐘は
シュタイングレーバー社のものが使われている。

リヒャルト・ヴァーグナーの碑
リヒャルト・ヴァーグナーの碑
 

リヒャルト・ヴァーグナーの家があった場所
リヒャルト・ヴァーグナーの家があった場所
1872-74年の間、ヴァーンフリート荘が完成するまで
ヴァーグナー一家が住んでいた。ここで「神々の黄昏」の
第一幕が完成した。

マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークの碑
マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークの碑



 

マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークの家
マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークの家
 小説家マルヴィーダ・フォン・マイゼンブーク(1816-1903)は
リヒャルト・ヴァーグナーとコジマがスイス・ルツェルンで挙げた
結婚式の証人になった。
彼女はニーチェとも交流があった。

    フリードリヒ通りを中心に街を回って、旧市街地(マクシミリアン通り)の中心地へ戻ってきた。時計の針は午後1時少し前を指していたので、昼食を取れるところを探した。多くの人が旧市庁舎に入っていく。近づいてみるとそこはレストランになっていたので、迷わずそのお店に入ることにした。聖金曜日(祝日)だったので、開いているお店を探すのも難しいかも知れない。

    お店に入ると意外と奥が広い。本来の中庭部分にもガラス屋根があって、そこでも食事が出来るようになっている。適当に空いている席に着いた。メニューを見てみると金曜日、それも聖金曜日ゆえに魚料理が多い。その中の一つを注文した。メニューがテーブルに運ばれてくる頃には、回りのテーブルも人で埋まっており、お店の中は空席を見つけるのも難しくなっていた。この日はそれまで人の姿をあまり見かけなかったので、これだけの人が外出しているのには驚いた。

旧市庁舎
旧市庁舎
もともとは市の建物だったが、1685年個人所有になり、
1721年に市庁舎として建て替えられた。
祝祭劇場の定礎式が行われた翌日、1872年5月23日、
ここでヴァーグナーの支持者からなるヴァーグナー協会の
集会が行われ、祝祭劇場完成に向けて決起した。

レストラン
レストラン




 

ビール
ビール

頂いた食事
頂いた食事

    昼食を食べ終わって、天井のガラス屋根を見ると、大粒の雨が降っているのが分かった。その後の予定として市内から少し離れたところにあるエレミタージュ庭園に行くことにしていた。一度雨が降る中、車で向かったみたが雨があまりにも強く、とても観光出来るような天候ではなかったので、一度ホテルに戻って休憩することにした。暫くホテルで休んでいると雨が小降りになってきたので、ホテルの近くにある市立墓地に行くことにした。

    地図を見ていると、市立墓地はそれほど広く感じられない。幾つかある目的のお墓は簡単な地図で大体の位置が分かっていたので、直ぐに見つけられるだろうと思っていた。しかし実際はそうではなく、見当を付けている辺りの、墓石の名前を一つ一つ確認してようやく見つけることが出来た。

市立墓地
市立墓地

市立墓地
市立墓地

フランツ・リスト廟
フランツ・リスト廟
ガブリエル・ザイドゥルによってネオロマネスク様式で建てられた。 

フランツ・リストの墓
フランツ・リスト(1811-1886)の墓
 

カール・キッテルの墓
カール・キッテル(1874-1945)の墓
彼は音楽祭の演奏記録を後世のために残した。
 

エーファとヒューストン・スチュワート・チェンバレンの墓
エーファ(1867-1942)とヒューストン・スチュワート・チェンバレン(1855-1927)の墓
 ヴァーグナーの娘と娘婿。

指揮者ハンス・リヒターの墓
指揮者ハンス・リヒター(1843-1916)の墓

指揮者ハンス・リヒターの墓
指揮者ハンス・リヒターの墓

宮廷歌手マリア・ミュラーの墓
宮廷歌手マリア・ミュラー(1878-1958)の墓

合唱指揮者ユリウス・クニーゼの墓
合唱指揮者ユリウス・クニーゼ(1848-1905)の墓

ヴィーラント、ゲルトルト、ジークフリート、ヴィニフレート・ヴァーグナーの墓
ヴィーラント(1917-1966)、ゲルトルト(1916-1998)、
ジークフリート(1869-1930)、
ヴィニフレート・ヴァーグナー(1897-1980)の墓

ヴィーラント、ゲルトルト、ジークフリート、ヴィニフレート・ヴァーグナーの墓
ヴィーラント(1917-1966)、ゲルトルト(1916-1998)、
ジークフリート(1869-1930)、
ヴィニフレート・ヴァーグナー(1897-1980)の墓

ダニエラ・フォン・ビューロの墓
ダニエラ・フォン・ビューロ(1860-1940)の墓
コジマとハンス・フォン・ビューロの娘。

ジャン・パウルの墓
ジャン・パウル(1763-1825)の墓

 

戻る

進む

menu
「おでかけ」のトップに戻る