ヒルシェン広場から何となく通りに沿って歩くとヴァインマルクトに出た。ヴァイン(ワイン)のマルクト(市場)という名の広場である。ヒルシェン広場より少し広いこの場所は16世紀までフィッシュマルクトであった。またこの地はルツェルンの政治の中心地でもあり、1447年までこの広場に(ルツェルンで最も古い)市庁舎が置かれていた。そして1332年、ルツェルンが3つの州(ヴァルトシュテッテ)と同盟を結んだのもこの場所である。
そのヴァインマルクトで最も目を惹く建物(フレスコ画)はホテル・デス・バランセスだろう。このホテルの歴史は12世紀まで遡る。1807年にヴァーゲ旅館として開業した。ヴァーゲ
Waage とは秤(はかり)や天秤といった意味がある。もしかすると、この広場ヴァインマルクトにかつてルツェルンの裁判所があったのが関係しているのかも知れない。このホテルは歴史あるホテルとして有名人もよく利用している。アイルランドの小説家ジョージ・バーナード・ショー(1856-1950)やオランダ女王ヴィルヘルミーナ(1880-1962、在位1890-1948)などが何度も利用しているという記録が残っている。現在の建物は1837年に建てられたもの。
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 ヴァインマルクト
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 ヴァインマルクト
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 聖マウリティウスの噴水 1481年、石工コンラート・ルックス作の後期ゴシック様式の噴水。 聖マウリティウスは兵士の守護聖人。甲冑に身を包んだ 兵士の像がある。現在オリジナルの噴水は ルツェルン歴史博物館に保存展示されている。
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 聖マウリティウスの噴水とフレスコ画 ヴァインマルクトだから「カナの婚礼」が描かれているのだろうか。
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 ヴァインマルクト薬局 1530年に建てられた。
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 ヴァインマルクト薬局のフレスコ画
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 プフィッファー・クロース・ハウス 16世紀中頃、市長ヨシュト・プフィッファー・クロースのために 建てられた。フレスコ画は1720年頃のもの。 1964年から市の文化財保護。
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 肉屋のツンフトハウス 1529-33年建設。肉屋のツンフトは1873年に解散した。 フレスコ画は1889年、アルベルト・ベンツによるもの。
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 ホテル・デス・バランセス
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 ホテル・デス・バランセスのフレスコ画
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 ホテル・デス・バランセスのフレスコ画
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 ホテル・デス・バランセスのフレスコ画
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 ホテル・デス・バランセスのフレスコ画
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 ホテル・デス・バランセスの屋根
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 かつての裁判所 1489年建設。1588年までルツェルンの裁判所だった。
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 コラッギオニハウス この地にかつて市庁舎やムルバッハ大修道院の役所があった。 1300年頃それはハプスブルクの所有になる。1505年、 薬剤師コンラート・クラウザー所有になり、建物の大幅な改築が 行われた。その後1827-30年に改築がなされ、 1964年より文化財保護となる。
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 石畳の路地、通り名もある
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 広場にある説明、1597年当時の絵。
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ヴァインマルクトからクラム小径の方を見るとそこにもフレスコ画の描かれた建物が見えた。そしてその道に導かれるままに歩いていくと、ミューレン広場に出る。広場の名前はこの近くにミューレ(製粉所)があったことに由来する。この広場は16世頃出来た広場で、当時はここで市が開かれていた。製粉所が近くにあって、またロイス川も直ぐ側なので市をするには良い場所だったのかも知れない。
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 クラム小径の建物
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 クラム小径の建物
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 クラム小径の建物にあった装飾
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 ミューレン広場 左にシュプロイヤー橋が見える。
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 ミューレン門 13世紀に建設された門で旧市街地側の最古の城壁の一部。
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 ミューレン門
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 ルイ・プフィッファー・フォン・ヴィハーの家 陸軍中将ルイ・プフィッファー・フォン・ヴィハー(1716-1802)の 別荘。スイスの地形測量に大きく貢献をした。
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 剥がれた文化財の案内
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 ミューレン広場の噴水
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 ミューレン広場の噴水と対岸
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