やまねこの物語

おでかけ ドイツ・ニュルンベルク〜アウグスブルク

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時期

観光とオペラ鑑賞

2005年12月末

 

    地下鉄を降り、地上に出るとルネサンス様式の建物が建ち並ぶ古い街並みが目に入った。この辺りは空襲による被害が少なかったのかも知れない。そんなことを考えながら歩いていると、塀に囲まれた非常に大きな建物、それが裁判所の建物であるが、目に飛び込んできた。その重厚さが裁判所に相応しい。週末で人が少なかったせいか、ひっそりとした建物は、尚更冷たい場所のように感じられた。また所々に黒ずんだ箇所が見えるが、それは空襲を物語っているのか、それとも単に酸化しただけなのか分からなかった。

地下鉄
地下鉄

地下鉄
地下鉄

地下鉄入り口
地下鉄入り口

街並み
街並み

裁判所
裁判所

裁判所
裁判所

第600号法廷への案内
第600号法廷への案内

第600号法廷がある建物(3階)
第600号法廷がある建物(3階)

裁判所入り口
裁判所入り口

入り口
入り口

    第600号法廷はニュルンベルク軍事裁判が行われるために改装された。例えばそれまで部屋を飾っていたシャンデリアのもとでは、報道関係者がフラッシュをたいて撮影してしまうので、もっと明るい蛍光灯に変えられた。ニュルンベルク軍事裁判の写真でよく見かけるポーランド総督ハンス・フランクが、サングラスをして法廷にいるのは、彼はこの蛍光灯の明るさで目を痛めてしまったということによる。またビデオ撮影の音が法廷の邪魔にならないようにガラス越しに撮影するようになったり、傍聴人のための座席が設けられたりした。

    ニュルンベルク軍事裁判が行われた場所は現在も裁判所の法廷として利用されているとあって、落ち着いた厳粛な雰囲気が漂う。ガイドの人の説明が始まった。裁判の内容というよりは裁判所の構造に関する話しといった感じだ。現在の法廷は軍事裁判後の1960年代に再び改装されたもので、何処が新しくなった、何処が以前からあるところといった感じの話しで、その改装の理由は機能的にするためということであった。確かに現在では軍事裁判時のような大きな傍聴席なども必要ないだろう。しかしどのように機能的か分からなかったので、ガイドが終わった後、質問しに行ったが、文字通り法廷の機能を考えてのこと、という答えが返ってきた。

    個人的に聞きたかったのは、この法廷を改装することによって、軍事裁判の記憶を消し去ろうとしたかということだったが、それは分からなかった。その様に感じられる程、この法廷には過去の重みがないように感じられた。自分が本や映像などで見た風景と変わっているから、軍事裁判を実感出来ないから、そう感じたのだろうか。

    しかしこの法廷、つまり1945年11月20日から1946年10月1日まで裁判が開かれた第600号法廷はニュルンベルク裁判における数々のドラマが繰り広げられた場所である。やはり歴史が作られた場所に立てるのは感慨深いものがある。そして何故か最もニュルンベルク軍事裁判の重みが感じられたのは、法廷を出て建物裏側に回ったところにある独房を目にしたときだった。今現存している独房は、かつてナチスの首脳がいた棟ではないが、それでもその建物はニュルンベルク軍事裁判の生き証人のように見えた。

第600号法廷入り口
第600号法廷入り口

第600号法廷
第600号法廷

第600号法廷
第600号法廷
 

ガイドの人による解説
ガイドの人による解説

ビデオ上映
ビデオ上映

裁判所
裁判所

裁判所
裁判所

裁判所
裁判所

裁判所入り口
裁判所入り口

壁にある紋章
壁にある紋章

独房の壁
独房の壁

 

独房
独房
裁判所と独房は繋がっており、軍事裁判の際も
地下を通ってエレベーターに乗るとそのまま法廷に行けた。

    裁判所を出ると非常に冷たい風が身を刺した。ニュルンベルク軍事裁判が行われていたときにも、こういった天候があったに違いない。暫くすると吹雪がやってきて視界を遮った。多くの人と同じように前屈みになりながら街を歩く。第二次世界大戦の犠牲者に捧げられる碑に献花されているのが目に入った。この碑は追悼の碑であると同時に、ドイツ人によって迫害された人々がバイエルンにおいて復興に協力したことに対する感謝の碑でもある。

街並み
街並み

マウトハレ
マウトハレ

第二次世界大戦の犠牲者に捧げられる碑
第二次世界大戦の犠牲者に捧げられる碑

第二次世界大戦の犠牲者に捧げられる碑
第二次世界大戦の犠牲者に捧げられる碑

街並み
街並み

街並み
街並み

街並み
街並み

 

 

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