おでかけ ドイツ・ザールブリュッケン |
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ドイツ・ザールブリュッケン Saarbruecken。今年2003年7月にも僕はこの街を訪れた(街の説明等に関しては前回の「おでかけ・ザールブリュッケン」を参照)。今回僕はこの街に用事があって2日間滞在した。初日の夕方以降と2日目のお昼と夜に自由な時間が出来たので、以前の旅では回れなかった所などを見ることにした。 街を流れるザール川にかかるヴィルヘルム・ハインリヒ橋は非常に交通量の多い橋であるが、ここを歩いて渡っていると、ザールクレーンと呼ばれる、文字通りザール川にあるクレーンの小屋が見えてくる。前回の「おでかけ」にも少し書いたが、ドイツ鉄道中央駅、歩行者天国、市庁舎、塔が目を引くヨハネ教会、旧市街地やその中心ヨハネ広場は街の中心を流れるザール川の北東に当たる。そしてアルテ・ブリュッケ(古い橋)や先述のヴィルヘルム・ハインリヒ橋を渡った対岸(川の南西)には、ザールブリュッケン宮殿、ルートヴィヒ教会、ザールラント州の官庁街があるアルト・ザールブリュッケン(旧ザールブリュッケン地区)となっている。ザール川側にあるザールクレーンはその高級地区側であるアルト・ザールブリュッケン側にあることから、かつての貴族などが利用していたものと判断できる。
僕はアルト・ザールブリュッケン側から旧市街地方面へとザール川を渡り、そこから川沿いを歩くことにした。そこは遊歩道となっており、歩行者だけでなく自転車も通行することが出来るようになっている。僕が歩いた夕方の時間帯には、それほど多くの人とはすれ違わなかったが、夜ここを歩くと散歩をしている人の姿が目に入った。この遊歩道を歩いていると、歩行者専用橋となっている煉瓦造りのアルテ・ブリュッケ(旧橋、古い橋の意。1546-49年建設)が見えてくる。
アルテ・ブリュッケを渡るとザールブリュッケン宮殿の城壁が正面に見えてくる。その壁に「ビアガーデン」との看板が下げられてあったので、階段を登ってみることにした。階段の最上段近くにはファシズムに対する警告の碑が建てられてあるが、そこには以下の文句の札がかかっていた。「ビアガーデンへ来るお客様へ。城壁の上に座ってビールを飲まないようにお願いします。」というものだ。酔っぱらって城壁上から落ちる人もいるのだろうか。
城壁に登ってみると、確かにそこにはビアガーデンがあったが、ミュンヘンにあるもののような広大な広場ではなく、長椅子とテーブルが少しあるだけで、多くの人は写真(下段左)のように壁に、もたれかかるようにしてビールを楽しんでいた。夕方にはビールを飲んでいる人の姿は少なかったが、陽が沈んだ後は城壁の所は隙間を探すのが難しいくらい多くの人がここでビールを飲んでいた。そういえばミュンヘンではビールといえば一般的にヘレス(←ビールの種類。以下同じ)をさすが、どうやらザールブリュッケンでは苦みのあるピルスを指すようだ。しかもお店でヘレスを注文すると、白ビールが出てくる。またミュンヘンで白ビールを注文するときは普通は文字通り白ビールが出てくるが、この街では注文の際、「ヘレスか黒ビールかどちら?」と聞かれることがあった。白ビールなのに黒ビールとは何ともややこしい話だが、何軒かでビールを飲んだり、またメニューを覗いてみるとビールの種類がミュンヘンとは大きく違っているのが分かる。いずれにしてもミュンヘンでいうヘレスを一度も飲むことが出来なかった。 後日、ラードラーというヘレス(ここでは白ビールの意味ではなく一般的ないわゆるビール)とレモネードを混ぜた飲み物を注文した。出てきたものを口にしてみると少し苦みがある。お店の人に伺うとザールブリュッケンではラードラーはヘレスではなくてピルスを混ぜるとのこと。それ故少し苦みがある。また当地ではラードラーとは言わずにフランス語でパナシ(パナシュ?)と呼ぶらしい。同じ国でもビールといってもその地ならではの文化があって面白い。
城壁上からは旧市街地方面が一望できる。ここで夕日が沈むのを暫く眺めていた。ビールは飲んでいない。
ザールブリュッケン宮殿の周辺を歩いていると、おそらくこの街からプロイセンに嫁いだのであろう、女王ルイーゼの碑があった。この街は1815年、バイエルン領とプロイセン領に分割され、プロイセンとも繋がりがあるが、フランス領やドイツ領になったり、また国際連盟の管理下に置かれたり複雑な歴史を持っている。
今回の僕のザールブリュッケン滞在初日はヴィルヘルム・ハインリヒ橋とアルテ・ブリュッケの間を散策して終わった。 |
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