やまねこの物語

おでかけ ドイツ・ザールブリュッケン

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時期

観光

2003年8月下旬

 

    日、マンハイムからザールブリュッケンを超えザールルイという街に行った。この街の郊外で用事があったのだが、その時にお店を覗くと、この街もザールブリュッケンと並んで国境の街故、看板にはドイツ語だけでなくフランス語表示も見受けられた。その後ザールブリュッケンに向かったが、ここでもよく見てみると大きなお店ではドイツ語とフランス語の同じ大きさの看板が並んでいた。やはりフランスから来る人も多いのだろうか。その後ザールブリュッケンの市内の歩行者天国を歩いていると写真(右)のような信号機を見つけた。以前ドレスデンの駅前でもこれと同じものを見かけたことがあった。その時は実験的に、信号のデザインを写真のような少し可愛い表示に変えていたときであった。その実験では表示を可愛くすることで事故が減ったとのこと。

お店の看板
お店の看板

信号機
信号機

    ールブリュッケンの街中を歩いていると小高い丘に教会(聖ミヒャエル教会)が見えたので丘へ上がる階段を登って教会を覗いてみた。教会への扉は開いていたものの礼拝堂の中へは入ることが出来なかった。ガラス越しに中を覗いて見ると椅子が前方に向けて設置されてあるのではなく中央に向かって、つまり左右が向かい合って設置されている。教会の裏手に回ってみると擬古典主義の建物があり1846年との文字がある。病院とも書かれてあったが現在はその目的では使用されていないようだ。更にその横にはオベリスクが見える。それは1870/71年の普仏戦争で犠牲になったドイツ人兵士が埋葬されたところに立つ碑であった。両国の歴史において重要な出来事の一つであると思われるが、この碑は忘れ去られたようにひっそりと立っているのが印象的であった。

聖ミヒャエル教会
聖ミヒャエル教会
聖ミヒャエル教会
聖ミヒャエル教会
聖ミヒャエル教会礼拝堂
聖ミヒャエル教会礼拝堂
天井
天井
礼拝堂の格子がガラスに反射して写っている
病院
病院
オベリスク
オベリスク

    内を歩いていると、先程見たオベリスクようなものがあった。この碑は日時計、温度計があり、また物理に関すること、ザールブリュッケンの人口、歴史について説明されてあった。

碑
碑、中央に温度計

碑
碑、ザールブリュッケンの歴史について

碑
碑、日時計

 

    の後、ザールブリュッケン宮殿にある歴史博物館へ行くことにした。ザールブリュッケン宮殿の向かいにはかつてのアルト・ザールブリュッケン地区の市庁舎が建っている。

かつての市庁舎
かつての市庁舎

紋章
紋章
塔の格子も凝っている

かつての市庁舎前
かつての市庁舎前

ザールブリュッケン宮殿
ザールブリュッケン宮殿

    ールブリュッケン宮殿にあるザールラントの歴史博物館には、ドイツ領になったりフランス領になったり、また帰属をめぐる国民投票のことなど、ザールラントのその非常に複雑な歴史が詳しく説明されてあった。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が訪問したときには、ドイツに対して親近感を持った人が多かったようだ。第三帝国期には他の街同様、反ユダヤ主義などが街には蔓延っていたようで、その反ユダヤのポスターや、また第二次世界大戦終戦前に物資不足から女性の髪の毛を集めて衣服を作るという宣伝ポスターなど、言いようによっては非常に生々しい歴史を感じることが出来た。またこれも他の街同様に第三帝国建築について説明されてあったが、街の計画や総統の個人的な贈り物しての(現在の)ザールラント州立歌劇場についてなど、これに関しては個人的に非常に興味深い内容でより詳しく知ってみたいと感じられた。

    ころでこのザールブリュッケン宮殿は第三帝国期にはゲシュタポ(秘密警察)の本部として利用されており、現在もその一部が保存されてある。

歴史博物館
歴史博物館

歴史博物館
歴史博物館

当時のザールラント州立歌劇場
当時のザールラント州立歌劇場

当時のザールラント州立歌劇場
当時のザールラント州立歌劇場

牢

牢の窓
牢の窓

牢の壁
牢の壁

取調室
取調室

 

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