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おでかけ ドイツ・ザールブリュッケン  | 
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                 今回の旅の目的で、ミュージカル「レ・ミゼラブル」を観ることと最初に書いたが、2003年大晦日がその最終公演と言うことだったので是非とも観たかった。このミュージカルは非常にメロディーが覚えやすいので 多くの人に親しまれている。僕個人としてはその音楽が好きなので昨年夏にそれを観るためザールブリュッケンを訪れた。前回の公演を観た感想を一言で述べるなら「素晴らしい」という単語が先ず思い浮かぶ。 
 それにもかかわらず僕がこのミュージカルを観たいというのは、ザールランド州立歌劇場での公演は非常にオペラ的だと耳にしたからである。ザールランド州立歌劇場での公演は、主役の人はミュージカルの人だが、合唱やその他の出演者がオペラの人と言うことで、非常にオペラ的な印象を受けるものとなっている。 ミュージカルなのでマイクを使うが、このミュージカルはマイクを使ったオペラといっても良いかも知れない。個人的にはオペラのその声、迫力が好きで、それらが活かされるザールランド州立歌劇場の「レ・ミゼラブル」が特に気に入っている。 というわけで「レ・ミゼラブル」を観ようと思いザールブリュッケンに出かけたが、チケットセンターや劇場に聞くと、チケットは発売されてすぐに完売したそうで、また大晦日のものは半年前の販売だが、これも直ぐになくなったとのこと。仕方なく、僕は公演当日開演一時間前に劇場に出かけ、昨年夏の時同様、チケットを取りに来ない人の余ったチケット、もしくは立ち見のチケットが販売されるのを待った。結果的に立ち見で2度観ることが出来た。また一度はチケット売り場で待っていると、手持ちのチケットが一枚だけ余っているという、おばさんから売っていただいた。 
 ザールランド州立歌劇場の今シーズンの演目は偶然か「レ・ミゼラブル」、ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」とフランス革命時の話が続いている。ザールブリュッケンがドイツ・フランスの国境の街ということを意識してのことかどうか分からないが、いずれにしても観客の中にはフランス語を話している人々もいるし、フランスが非常に身近な存在と感じることが出来る。 そういえば、大晦日の「レ・ミゼラブル」では観客の中にもナポレオンが被っているような帽子を被っている人やまたフランス軍人のようなベストを着ている人もいた。指揮者もナポレオンのような服装をしていた。そういった服装が違和感なく劇場内にとけ込んでいるのは、やはり国境の街だからだろうか。ミュンヘンの劇場では、バイエルンの民族衣装を見かけることはあってもフランスの衣装というのはまず見かけない。いずれにしても今回のザールブリュッケンへの旅では合計で8公演観ることが出来た。 
 新年を迎えた正月の日、お店なども閉まっているのでフランス国境近くのドイツ・フランス庭園に行くことにした。ガイドなどにはバラや様々な花が咲き、非常に美しい公園と紹介されてあったが、僕が訪れた日は冬で木々は葉を落としており、また正月ということで公園内にあるお店なども閉まっていたので、その上気温も氷点下だったので非常に寂しい空間となっていた。国境に近いためか、散歩をする人の中にフランス語を話している人も見かけた。ところでドイツ・フランス庭園には1870/71年の普仏戦争に関するものがある。その戦争で活躍した人などが眠る名誉墓地である。またその横には戦争で亡くなった人に捧げる碑があり、これは本来はその戦争で亡くなった人々に捧げられるものであったがその後、第一次世界大戦、第二次世界大戦で亡くなった人にも捧げられるようになった。またドイツ側だけでなくフランス側の碑もあり、それはフランス語で書かれていた。特にこの場所は普仏戦争の実際の戦地となり、ここでの戦いの後、ドイツ帝国(いわゆるドイツ第二帝国)が成立した。それ故この地は名誉の谷とも呼ばれている。 
 このドイツ・フランス庭園はドイツとフランスの友好を祝して1960年当時の西ドイツ首相アデナウアーとフランス大統領ドゴールが出席して開園セレモニーがなされた。春や夏に訪れるとまた違った表情を見せてくれると思うが、是非その時期にも訪れてみたい。 
 ドイツ・フランス庭園を散歩した後、来た道とは別の道で市内に戻った。暫く歩いていると小高い丘の上にドイツ騎士修道会士礼拝堂があった。この礼拝堂は現在のザールブリュッケンにおいて最も古い建築物の一つに数えられるもので、13世紀中頃に建築されたとのこと(塔は1868年建設。意外と新しい)。ドイツ騎士修道会士ということで、この礼拝堂はカトリックの歴史において非常に重要な礼拝堂であったかも知れない。塔にある時計がちゃんと動いているところを見ると、現在も利用されているのが分かる。残念ながら内部拝観は出来なかった。またその直ぐ近くにはアルト・ザールブリュッケン地区の旧墓地があった。その壁にはユダヤの星と燃えるシナゴーグのモニュメントがあったが、この地の近くにシナゴーグ等何かあったのだろうか。地図で確認したが結局分からなかった。 また旧市街地である聖ヨハン地区にも中世に関するモニュメントがあった。かつての門跡で一つは聖ヨハン広場のザール川近くに、もう一つは聖ヨハン広場から川とは反対側にあった。このモニュメントの場所には14世紀初頭に建てられた門があった。1810年、街の拡大と共に取り壊されているが、かつての門がそのモニュメントの場所通りに立っていたとするならば、聖ヨハン広場周辺は通りの幅も拡張されず、広場周辺の建物は中世の頃から同じように立っていると想像出来る。この広場周辺には狭い小径もあるので、そういった意味では中世の面影を残していると言えるかも知れない。 
 アルト・ザールブリュッケン地区を歩いていると、修復されずに残された壁の一部があった。元が何だったか、これだけでは想像出来ないが、このように取り壊しせず、また直さず(「直せず」かも知れないが)保存されてあるのは面白い。その近くを歩いていると歩兵連隊陸軍元帥バイエルン皇太子レオポルトと刻印されたモニュメントがあった。年号から見ると第一次世界大戦中、レオポルトの部隊がここに駐屯していたと想像出来る。 
 街の中心を流れるザール川に出ると、おそらくこの街で一番複雑な橋であろう、ヴィルヘルム・ハインリヒ橋に出る。この橋には信号が多く、特に車を運転する人にとっては通行するのに、非常にややこしい橋ではないだろうか。ところで、その橋にもモニュメントがあり、そこにはザールブリュッケンの現在の紋章が付いている。またその近くにはズッペン小径と(地名の)標識が付いた数段の階段がある。彫像もあるが、これが何か僕には分からない。いずれにしても目を引くモニュメントである。 
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