やまねこの物語

おでかけ ドイツ・ザールブリュッケン

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2003年年末、04年新年

 

    市街地である聖ヨハン地区には建築家ゲオルグ・ハウベリッサーによって1897-1900年に建てられた市庁舎がある。ハウベリッサーはミュンヘンの新市庁舎を建設したが、このザールブリュッケンの市庁舎はミュンヘンの新市庁舎の「妹」として建築されたとのこと。よく見てみると確かに似ている部分が多い。しかし赤レンガを用い、街の他の建物と見事に調和している。

市庁舎
市庁舎

市庁舎の塔
市庁舎の塔

市庁舎
市庁舎

市庁舎
市庁舎

市庁舎
市庁舎

市庁舎
市庁舎

    る日の夕方、雪が降り始め、翌日には僅か数センチだが雪が積もっていた。雪の中に建つルートヴィヒ教会は晴れた日よりも、より落ち着いた雰囲気となっていた。またこの教会広場の左右の建物は全て灰石色に、また高さも統一されているので雪の白がよく似合う落ち着いた場所となっていた。

ルートヴィヒ教会
ルートヴィヒ教会

教会広場周辺
教会広場周辺

教会広場周辺
教会広場周辺

 

    ールブリュッケンの街中心部の方に向かって歩いたが、交通量や人通りが多いので積もった雪はそれほど残っていなかった。ところでミュンヘンでは雪が降り積もった時、砂利をまくがザールブリュッケンで足元を見てみると小さな塩がまかれていた。コスト的な問題か、それともミュンヘンで砂利をまくのは、それによって雪が溶けると言うことを前提にしていないのか(それほど雪が残る)、よく分からないが砂利より塩の方が歩きやすい。特にスーツケースを引きずる時にそう感じる。

街並み
街並み

市庁舎
市庁舎

街並み
街並み

街並み
街並み

ヨハネ教会
ヨハネ教会

街並み
街並み

劇場アルテ・フォイヤーヴァッヘ
劇場アルテ・フォイヤーヴァッヘ

ギムナジウム
ギムナジウム

    ころで、その雪景色を見る際、ゆっくり街を回ってみたが戦争で約70パーセント以上破壊され、また戦後それらが全て修復されていないので(壊して新しい建物を建てている)、街には新しい建物と古い建物が隣り合わせに建っている。新しい建物の間に残る古い建築を見ると以前はそういったルネサンス様式の建物が並ぶ美しい街であったことが分かる。同時にその美しい街を破壊した戦争の怖さも感じる。ミュンヘンでは戦後、戦前のように復元された建物が多く戦争の傷跡を感じることを少ないようにも感じるが、ザールブリュッケンの、その古い建物と新しい建物が不釣り合いに混在している街並みから戦争の悲惨さとその後の復興力、新しいものを生み出す想像力を垣間見ることを出来る。

街並み
街並み

街並み
街並み

街並み
街並み

街並み
街並み

街並み
街並み

街並み
街並み

街並み
街並み

街並み
街並み

    回の旅で是非訪れてみたかった場所がある。この地出身で2003年10月にザールブリュッケンの名誉市民となったヴィリー・グラーフのお墓を訪れたかった。彼はミュンヘンのルートヴィヒ・マクシミリアン大学で反ナチス活動を起こした白バラのメンバーである。というわけで彼が眠る聖ヨハン旧墓地を訪れた。墓地入り口には彼のお墓の場所を示す案内板があるので、その場所を直ぐに見付けることが出来た(その横にはヴィリー・グラーフの碑もある)。またこの墓地には1870/71年の普仏戦争で亡くなった人々のお墓もある。余談だが雪が降り積もった墓地へ行くと、お墓と道の境目が分からず、お墓を踏んでしまわないか、それが心配であった。特に普仏戦争で亡くなった人々のお墓は、それぞれの墓石(の列)の間が狭かったので心配だった。

聖ヨハン旧墓地
聖ヨハン旧墓地
坂になっている

普仏戦争でなくなった人々のお墓
普仏戦争でなくなった人々のお墓
 

ヴィリー・グラーフの碑
ヴィリー・グラーフの碑

ヴィリー・グラーフのお墓
ヴィリー・グラーフのお墓

    イーゼの碑がある場所を再度訪れてみたが、雪が積もった場所は非常にひっそりとしていて夏の時より寂しい場所に感じられた。

ルイーゼの碑
ルイーゼの碑

ルイーゼの碑の上
ルイーゼの碑の上

 

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