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おでかけ ドイツ・ウルム |
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大聖堂から市庁舎へ向かうと市庁舎北側の敷地が工事中のようになっていた。よく見てみると遺跡の発掘調査をしているらしく、そこから出土したものに関してパネルに表示、説明がされてあった。
遺跡調査の場所を過ぎると、フレスコ画が非常に鮮やかな、初期ルネサンス様式の市庁舎が見える。昔は市の参事会の会議場は一定しておらず、色々な場所で会議が開催されていたが、1392年に憲法が制定され、議員数も32から72人に増え、ギルド(同業者組合)と都市貴族からなる議員のために大きな会議場が必要となった。そこで1370年に新築された商館の3階が会議場と定められ、1419年にはこの建物は正式に市庁舎となった。その後この建物は幾度も改築され、南側の建物だけが当時の建物として残っている。3階の会議場はゴシック様式の飾り窓で窓の脇には6人の選帝候の像がある。 フレスコ画はマルティン・シャフナーによって描かれ、北側と東側は人間的な美徳や重荷という人生のテーマに沿って描かれている。南側にはウルムで使われていた船と、ウルムと商業取引のあった31の街の紋章が描かれている。市庁舎の建物は1539年に北側が倒壊し、そこにアーケードが造られた。また1944年の空襲で大きな被害を受け、古い設計図を元に復元された。内装は1階全体と北側2階は被害を受けず当時のものが残されているが、それ以外は改装された。 市庁舎で一番美しい面は東側で、ここには天文時計(1520年)、バルコニー(1473年)があるが、残念ながら僕が訪れたときは修復中で見ることが出来なかった。
市庁舎の直ぐ近くには1359年に建てられたウルム最古の木組みの家がある。この建物は歪んでいて、いかにも古そうに見えるが隣接する建物も歪んでる。いずれにしても木の柔軟さを感じる。
ウルム最古の木組みの家から少し離れた場所に、ウルムで最古の建物であるシュタインハウス(石の家、1222年建設)とニコラウス礼拝堂がある。これは「シュタインハウスとニコラウス礼拝堂」という一つの名前である。これはロマネスク様式で建築され、礼拝堂内部にはゴシック様式のフレスコ画があるとのことだが、僕が訪れたときには閉まっていて入ることが出来なかった。この建物の西側と北側の壁が当時のものである。
シュタインハウスとニコラウス礼拝堂の直ぐ横にはかつての三位一体教会(1616-21年建設、後期ルネサンス様式)がある。この教会は戦後、教会としては利用されず、「出会いの家」として様々な用途に利用されている。
先に挙げたシュタインハウスとニコラウス礼拝堂の直ぐ側にはライヘナウアーホーフと呼ばれる館があり、この建物は都市貴族の偉大さ、尊厳、裕福、権力を示している。ここには神聖ローマ帝国皇帝でスペイン王であったカール5世が住んでいた(1543、47、48、50、52年)。現在、それを示す碑がある。
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