|
||||||||||||||||||||||||||||||
おでかけ ドイツ・ウルム |
||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||
|
暫く街中を散策した後、ドナウ河畔に出た。このドナウ川の対岸はノイ・ウルム(新しいウルムの意)という街でバイエルン領である(ウルムはバーデン・ヴュルテンベルク州)。1482年ドナウ河が氾濫し、その後ここに市壁が建設され、外敵からの防衛の役目も果たすようになった。現在、その市壁の上は遊歩道となっており、ゆうゆうと流れるドナウと大聖堂の尖塔、木組みの家々を望むことが出来る。 ところで最初のページにも書いたが、長さ2840kmのドナウ河はウルムから船が運航され、古くから交通の要として繁栄してきた。1570年にはウルム・ウイーン間にドナウ遊覧船が運航し、それは1897年まで続いたとのこと。1745年にはオーストリアのマリア・テレジアと皇帝フランツ1世が35隻からなる大行列でウルムからウイーンに向けて出航した。当時のウルムは帝国内で大きな力を持っていたのかも知れないが、その後1802年、帝国自由都市としての地位を失う。
市壁の上を歩いていると、肉屋の斜塔と呼ばれる塔が見えてくる。この塔は1345年に建設されたもので、その古さ故か北西方面に2メートル、傾斜している。
市壁の上を歩いていると肉屋の斜塔だけでなく、切り妻屋根を持った建物や赤と白のチェックの派手な家が見えてくる。またこれらの建物の間には大聖堂の尖塔が時折見え隠れし、市壁の上は散歩するのに非常に面白い場所に感じられた。
市壁の上を歩いていると、何やら碑が見えてきたのでその直ぐ近くにある階段から僕は下に降りた。市壁の外側壁にも幾つか碑があり、それらは全て、ここから追放された人に対する碑であった。以前、ここにはドナウ・シュヴァーベン移民地区というものがあり、ドナウ河が流れる他のヨーロッパの国々から移住してきた人々が住んでいたが、第二次世界大戦終戦頃から戦後、彼らは200年以上住んでいた、この地から追放され出身国に戻ったと言うことが書かれてあった。碑には同時に、ここウルムから他のヨーロッパの国々にドイツ人が移住していったとも書かれてあった。一つの大きな河は国境に関係なく流れている。流れている河は同じなのに時代やそれぞれの国政によってその意味合いが変わってくることを考えると、河はそれだけ激しい歴史を持っているのかも知れない。
市壁から降りた僕は市壁内に入ったが、市壁の中にはトイレが作られてあったり、階段に自転車やベビーカー用と思われる鉄板が引いてあったり、市民に優しい街作りがなされていると感じる。
ウルムには市壁以外にも、13世紀に作られたシュタウフェンの壁というものがある。これは王家シュタウフェン家がウルムを王家所在地と定め、街の城壁として建設したものである。シュタウフェンの壁は漁師の一角と呼ばれる界隈の北端にあり、現在も粗切角石積みの壁を見ることが出来る。
|
|
|