やまねこの物語

おでかけ リヒテンシュタイン・ファドゥーツ

旅の目的

時期

観光

2006年4月上旬

 

    リヒテンシュタイン公国の首都ファドゥーツは1150年、初めて文書でその名前が確認されている。そして14世紀ここにファドゥーツ伯爵によって城(ファドゥーツ城)が築かれるが、18世紀、ここはリヒテンシュタイン公爵家の地となる。ファドゥーツの名前はラテン語で水の流れるところという意味から来ている。

    現在も人口約5.000人と大きな街ではないが、歩いてみると郷土博物館や国立美術館、モザイク装飾された紋章が綺麗な政府庁舎の建物があって、首都らしい雰囲気を感じることが出来る。

    ところで先にも書いたがリヒテンシュタインとスイスは関税協定を結んでいるので、スイス側からリヒテンシュタインに入国する場合は、国境の案内があるだけで審査も何もない。それどころか例えば国境警備の人の姿もない。如何にすれば入国した証をもらえるかというと、観光局に行けば、日付の入った入国スタンプをパスポートに押してもらえる。というわけで観光局に向かった。そのアイドルグループが出ていた番組でも紹介されており、彼は料金を安く抑える必要があるから、「ディスカウント、プリーズ!」と言っていたのが印象に残っている。観光局に行くと、明かりは消えドアも閉まっていた。休日だったので観光局も休みだった。

    しかし翌日、改めて観光局に行くと記念スタンプを押してもらうことが出来た。聞けば観光局が休みの時は、向かいにある国立美術館でもスタンプを押してもらえるということだった。

観光局と切手博物館
観光局と切手博物館

リヒテンシュタイン郷土博物館
リヒテンシュタイン郷土博物館

国立美術館
国立美術館

政府庁舎と聖フローリアン大聖堂
政府庁舎と聖フローリアン大聖堂

政府庁舎
政府庁舎
1903-1905年建設。

紋章
紋章
 

聖フローリアン大聖堂
聖フローリアン大聖堂
1869-1873年、フリードリヒ・フォン・シュミットによって
ネオゴシック様式で建設された。1997年12月2日、
教皇ヨハネ・パウロ2世によってリヒテンシュタイン公国の
教区は大司教区ファドゥーツとなる。
それによってこの教会も大聖堂の位置付けになった。

ヨーゼフ・ラインベルガーの碑
ヨーゼフ・ラインベルガーの碑
作曲家でオルガン奏者ヨーゼフ・ラインベルガー(1839-1901)は
この地で生まれ、ミュンヘンで亡くなった。

教会関連の施設
教会関連の施設

日時計
日時計

聖フローリアン礼拝堂の遺構
聖フローリアン礼拝堂の遺構
この地に12/13世紀頃、最初の聖フローリアン礼拝堂が
建っていた。その横に現在の大聖堂が建設されたので
1873年取り壊された。

大聖堂入り口
大聖堂入り口

椅子
椅子

礼拝堂
礼拝堂

パイプオルガン
パイプオルガン

公爵家墓地
公爵家墓地

公爵家墓地
公爵家墓地
公爵家がファドゥーツに居城を移したのは20世紀に
入ってからなので、お墓の数が少ないのだろうか。

公爵ヨハン2世像
公爵ヨハン2世像
公爵ヨハン2世(1840-1920)のもと、1862年、
立憲君主制の憲法が採択され、初の議会選挙が行われた。
また1868年、自国の軍を廃止した。

大聖堂下のマリアとイエス像
大聖堂下のマリアとイエス像

パスポートのスタンプ
パスポートのスタンプ
 

 

戻る

進む

menu
「おでかけ」のトップに戻る