やまねこの物語

おでかけ リヒテンシュタイン・ファドゥーツ

旅の目的

時期

観光

2006年4月上旬

 

    以前テレビで見た日本の番組に次のようなものがあった。スイス・チューリヒから「ヨーロッパ大陸、1万円で何処まで行けるか」というもので、それを人気アイドルグループの3人が競った。両替するところから始まり、そこからそれぞれ気の向く方向に向かって出発した。時間制限は12時間後だっただろうか。3人はそれぞれフランス、イタリア、オーストリア方面へと向かった。そのオーストリア方面へ向かった人物が、途中でリヒテンシュタインを通過した。

    自分の中でリヒテンシュタインと聞けば、この番組を思い出す。リヒテンシュタインは日本の小豆島程しかない小さな国で、その首都ファドゥーツでも人口が僅か5.000人という小さな国である。だから放送でもリヒテンシュタインは通過しただけで、ほんの僅かしか映らなかった。しかし自分がそのテレビで見たリヒテンシュタインに行けるというのは、非常に嬉しいことである(ちなみに自分はそのアイドルグループのファンというわけではない)。この旅は日本から来られたY氏の同行で、スイス・ザンクトガレン(別ウィンドウで開きます)から続くものである。

    スイス・ザンクトガレンからリヒテンシュタイン公国の首都ファドゥーツへ行くには、スイス鉄道でまずブックス Buchs まで行かなければならない。そこからバスに乗ればファドゥーツまで行くことが出来る。この旅のY氏の目的は、ファドゥーツに存在する、あるレストランで食事をし、そのホテルに泊まるというもの。自分は全く知らなかったのだが、かなり有名らしい。家に帰ってから調べてみると、ガイドブック「ミシュラン」や「ゴーミヨー」にも紹介されている。こういった旅の目的は、自分では思い付かないので非常に楽しみだった。

    電車はザンクトガレン中央駅を午前11時過ぎに出発した。休日だからかそれなりに人が多い。12時半前にブックスに到着出来るが、窓の外には山頂に雪が残る山々が見えてきて、心なしか空気が冷たくなったように感じられる。僅か1時間半で車窓から見る風景は大きく変わった。ブックス駅は予想以上に大きい駅で、おそらく同じようにリヒテンシュタインに行くのだろう、大きな荷物を持った人が何人か下車をした。

    駅前に出てみると少し肌寒いが空気が冷たくて気持ちが良い。その駅前を見ると車体にリヒテンシュタインバスと書かれた黄色いバスが止まっているのが見えた。これがファドゥーツまで行くのだろう。バスの中にはつり革が多い。ミュンヘンのバスではほとんど見かけることがない。つり革が多いというのは、それだけカーブの多い山道を走ると言うことだろうか。

ザンクトガレン駅、ブックスへ向かう電車
ザンクトガレン駅、ブックスへ向かう電車

ブックスへ向かう電車内
ブックスへ向かう電車内

車窓からの眺め
車窓からの眺め

ブックス駅
ブックス駅

ブックス駅
ブックス駅

リヒテンシュタインバス
リヒテンシュタインバス

バスの中
バスの中

 

    リヒテンシュタインバスが動き出した。バスには大きな荷物を持った観光客だけでなく、地元の人らしき人達も乗っている。バスは駅前のロータリーを回って、そのまま街中を走っていった。途中に橋がある。バスに乗って直ぐにその橋を渡ったが、そこにはリヒテンシュタインの国旗があったので、そこがスイスとリヒテンシュタインの国境だったのだろう。バスはそしてシャーン Schaan という街の駅に止まった。何人か乗降客があり、バスはまた街中を進み出した。乗っていると窓の外にファドゥーツという看板が見えた。そうすると直ぐに降りるべき停留所である郵便局に停車した。「降りる」というボタンを押して、あわててバスを降りた。バスはまた乗客を乗せてそのまま走っていった。

    ブックスからファドゥーツまで約10分だろうか。自分の中にはブックス駅から山道を通ってファドゥーツに着くというイメージがあった。しかしバスは、田舎ではあるがずっと街中を走っており、その道中に幾つもの停留所があって普通の市バスと同じだった。自分の中ではリヒテンシュタインという国、ファドゥーツという街はそれほど山奥にあったのだろう。不便な場所というイメージがあったが、思った以上に早く、そして簡単に行くことが出来た。

    郵便局前からまずホテルに向かうことにした。小さな街とは言っても自分には初めての場所なので、目指す方角や距離感が分からない。目的地へ辿り着くのは時には大変ではあるが、それは見知らぬ街を訪れたときの楽しみの一つかも知れない。今回自分はファドゥーツの簡単な地図を持ってきた。実際に自分がその場に来て分かったのだが、その幾つかの記載が間違っており、ホテルに行くのに思った以上に時間がかかってしまった。

    ホテルは街の中心部にあり、その真上にはファドゥーツ城があった。ホテルの部屋から見る景色も雪山が遠くに見えて、また天気が良かったせいか部屋の中も随分明るく何か気持ちが良い。その後簡単に昼食を取ってから、街中の散策をしながら、スイスとリヒテンシュタインの国境へ歩いていくことにした。自分が持っている本には、少し歩けば国境に行けるとある。ところでこの日は天気が良く、陽が出ていると暑くさえ感じた。特に日差しが強い。外にテーブルが並んだところで昼食を取ったが、回りを見てみると半袖、サングラスの人が多い。しかし陽が雲に隠れると、急に肌寒く感じられ、上着を羽織りたくなる。太陽のありがたみが多いに感じられる。

ホテルとファドゥーツ城
ホテルとファドゥーツ城

ホテルの部屋からの眺め
ホテルの部屋からの眺め

ホテルの部屋
ホテルの部屋

ホテルの部屋
ホテルの部屋

    この日は休日だったせいか、ほとんどのお店は閉まっており少し寂しく感じられたが、散歩する人やカフェで休んでいる人も多く、のどかな休日の午後を感じさせた。

    ライン川上流に位置するリヒテンシュタインは正式にはリヒテンシュタイン公国といい、面積160km2、人口約33.400人(2004年)という小さな国家である。この国はリヒテンシュタイン公爵家のもと世襲立憲君主制となっている。そのリヒテンシュタイン公爵家はもともとオーストリア出身の貴族で、現存するものではヨーロッパ最古の家柄の一つとされている。1136年にフーゴ・フォン・リヒテンシュタインからリヒテンシュタインの名前が始まった。そして1608年、カール・フォン・リヒテンシュタインの時代、リヒテンシュタイン家は公爵家に格上げされる。同時に彼はボヘミアとモラヴィア地方に広大な領土を得た。1623年には帝国諸侯の称号を得る。

    リヒテンシュタインの国旗そしてカールの孫であるヨハン・アダム1世(1657-1712)がシェレンベルク領(1699年、現在の低地部)、ファドゥーツ伯爵領(1712年、同高地部)を購入。1719年1月23日、神聖ローマ帝国皇帝カール5世はシェレンベルクとファドゥーツを併せてリヒテンシュタイン公爵領とすることを正式に認めた。これが現在のリヒテンシュタイン公国の始まりである。

    1806年、神聖ローマ帝国が崩壊し、ライン同盟に参加するが、このときリヒテンシュタインは他の国から独立国(公国)として承認される。1815年にはドイツ連邦に入るが、1866年これも解体される。これを機にリヒテンシュタイン公国は独立し、1867年には永世中立国となり(現在も続く)、1868年には軍を廃止した。その後はオーストリア=ハンガリー帝国と関税同盟を結ぶが、第一次世界大戦後に帝国が崩壊し、オーストリアとの同盟を解消。1923年スイスと関税協定を結んだ。それゆえ現在、人は両国間を自由に行き来出来、またリヒテンシュタインの通貨もスイスフランとなっている。同時にリヒテンシュタインの外交政策はスイスが行っている。

    ところでそのリヒテンシュタイン公国だが、ここはリヒテンシュタイン公爵家の領土であったに過ぎず、公爵家は20世紀までウィーンや現在のチェコ領にあるフェルズベルクに住んでいた。しかし1938年、公爵フランツ・ヨーゼフ2世(1906-1989)が公爵家の居城をファドゥーツに移してから、ここが公爵家一家の住まいとなり、現在に至っている。

市庁舎
市庁舎
1932/33年、フランツ・リュッケレによって設計された。

市庁舎にある市の紋章
市庁舎にある市の紋章
1978年まで使われていた紋章。

市庁舎にある市の紋章
市庁舎にある市の紋章
1978年制定の現在の紋章。

メインストリート
メインストリート 

メインストリート
メインストリート

メインストリート
メインストリート

メインストリートにある水道
メインストリートにある水道

メインストリートにあるゴミ箱とベンチ
メインストリートにあるゴミ箱とベンチ

芸術作品が並ぶメインストリート
芸術作品が並ぶメインストリート

花壇
花壇 

 

 

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