やまねこの物語

おでかけ リヒテンシュタイン・ファドゥーツ

旅の目的

時期

観光

2006年4月上旬

 

    街並みを見た後、リヒテンシュタインとスイスの国境目指して歩くことにした。本には少し歩けば国境とあったが、地図が示す方面を歩いても国境であるライン川は見えてこなかった。土地が広く、遠くまで見渡せるが、どんなに歩いても景色は直ぐに替わらないので、随分と長く歩いたような気がした。振り返るとファドゥーツ城が遠くに見えている。街からファドゥーツ城を見上げていると、山の上の方に城が建っているという気がしたが、こうやって遠くから眺めてみると、ファドゥーツ城の位置はそれほど高くないと分かる。

    国境への道の周辺にはのんびりとした風景が拡がっていた。それを見ていると慌てて国境へ行く必要が無いとも思えてくる。遊歩道では多くの人が散歩しているのが見えた。少し坂道を登った。この向こうがライン川に違いない。と思って登ってみても、その向こうには道路があるだけであったり、なかなかライン川は見えてこなかった。

国境へ向かう道
国境へ向かう道

国境へ向かう道から見る風景
国境へ向かう道から見る風景

市街地方面を望む
市街地方面を望む

散歩する人達
散歩する人達

花

花

小川
小川

雪山
雪山

十字架
十字架

市街地方面を望む
市街地方面を望む

    街の中心部から約30分程歩いた頃だろうか、ようやくライン川に辿り着いた。川幅は「ライン川」と言う響きから想像していた通り広かったが、水の流れていない箇所もあり、水量はそれほど多いといった印象を得なかった。しかしこれから雪解け水があれば、更に水かさが増えるに違いない。

    このライン川がリヒテンシュタインとスイスの国境である。そして直ぐ横には木造の橋が掛かっている。この橋はアルテブリュッケ、旧橋と言われる橋で歩行者や自転車専用となっている。その直ぐ近くには新橋、ノイエブリュッケと呼ばれる車専用の橋がある。木造の旧橋を渡ってみた。床を見れば隙間が空いている。写真を撮ろうと足を止めれば、橋が揺れているのが感じられた。橋の土台部分は鉄筋で覆われていて、多い水量によっても流されたりすることはないだろう。しかし橋の部分は木造で、所々壁の板も剥がれている。

    ところで現在のリヒテンシュタイン公国の国歌は1920年、「若きラインの河畔にて」に制定された。ライン川はスイス、リヒテンシュタイン、オーストリア、ドイツ、オランダを経て北海に流れる。リヒテンシュタインはライン川の上流にあるが、それを人生にたとえて、「若きライン」となっている。同時にこれはリヒテンシュタインの将来の発展をも意味している。作詞はヤコブ・ヨーゼフ・ヤオホが1850年に作ったとされる(1963年に一部改正)。国歌のメロディは英国国歌と同じものを採用している。

国境に架かる橋
国境に架かる橋(リヒテンシュタイン側から撮影)

ライン川
ライン川(リヒテンシュタイン側から撮影)

国境に架かる橋
国境に架かる橋

国境に架かる橋
国境に架かる橋(リヒテンシュタイン側から撮影)

国境に架かる橋の床
国境に架かる橋の床

国境に架かる橋からの眺め
国境に架かる橋からの眺め

橋の中にあった十字架
橋の中にあった十字架

国境
国境
 

ライン川
ライン川(スイス側から撮影)

ライン川
ライン川(スイス側から撮影)

ライン川
ライン川(スイス側から撮影)
奥に見えるのは車専用の新橋

国境に架かる橋
国境に架かる橋(スイス側から撮影)

国境に架かる橋
国境に架かる橋(リヒテンシュタイン側から撮影)

国境近くの風景
国境近くの風景

何かの展示場
何かの展示場

交差点
交差点

    国境であるライン川、国境に架かる橋を見ていると、遠くから黒い雲が近づいているのが見えた。ゲヴィッターと呼ばれる夕立のような雨を降らせる雲に違いない。暫くすると冷たい風が吹いてきた。ゲヴィッターが来るときは、最初に冷たい風が吹いてくることが多い。それほど大粒ではないがポツリ、ポツリと雨が降り出した。しかし早歩きをすれば、傘が必要な程でもない。暫く足早に歩いたが、雨粒も大きくなってきたので傘を差すことにした。しかしとにかく風が強い。一度ホテルに戻ることにした。部屋の窓を開けたままにしてあったのが気になっていた。

    雨は暫く降り続いていたので近くのカフェに入って休憩することにした。お昼の時には人で賑わっていた街のメインストリートは雨音が響くだけで、濡れたテーブルが寂しい雰囲気を醸し出していた。カフェで休んだ後、その隣にあるお土産屋に入った。ここだけは休日でも開いているよう。リヒテンシュタインといえば切手で有名な国である。この国の主要産業は精密機械や医療機器で、例えば義歯やコンクリートドリルなどはヨーロッパのシェアの90パーセントを占めるらしい。そして高度な印刷技術があって切手産業も盛んだということ。

    お土産屋に入るとドイツのお土産屋にも売っていそうなものが並んでいる。それにリヒテンシュタインやファドゥーツの名前が入っているのである。そしてその一角には切手コーナーもあった。切手が発売された年毎に分けて袋に入れられ売られている。それ以外に外国の切手もあった。最も驚いたことは、そこにアドルフ・ヒトラーの記念切手シリーズが売られていたのである。もしかすると当時、それらの切手はリヒテンシュタインで印刷されていたのだろうか。その切手は自分もミュンヘンのアンティークショップで購入したものだが、リヒテンシュタインでは歴史的価値がないのか、ミュンヘンよりも若干安く売られていた。お土産の切手コーナーは非常に興味深い場所であった。

    またそこにはリヒテンシュタインのものだけでなく、バイエルンの国旗なども売られていた。これは1993年7月3日、リヒテンシュタイン公爵家のアロイス皇太子(1968.6.11-)と結婚し、4人の子供をもうけたバイエルンのヴィッテルスバッハ家の公女ゾフィ(1967.10.28-)に基づくものだろう(ちなみに彼女はバイエルン王国最後の王であるルートヴィヒ3世(1845-1921)の直系である)。ところでリヒテンシュタイン公爵家のフランツ・ヨーゼフ2世(1906-1989、ちなみに彼の名付け親はオーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世)が1989年11月に亡くなってハンス・アダム2世(1945-)が即位したが、2004年8月、アロイス皇太子を摂政(国家元首代行)として彼に全権を移譲した(ハンス・アダム2世は名目上の国家元首としての地位を保持する)。

 

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