やまねこの物語

おでかけ ドイツ・ヴァルハラ

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観光

2004年10月中旬

 

ドナウ川を跨ぐ石橋近くに遊覧船乗り場がある。チケット売り場がある河原は遊歩道のようになっていて、石畳の横は秋の訪れを告げるかのように、落ち葉が地面を秋色に染めていた。チケット売り場を見つけて、ヴァルハラまでの往復チケット(学生)を購入した。目の前に既に船が泊まっているので、チケットを見せて船に乗り込んだ。ヴァルハラに向かう船はヨハネス・ケプラー号と名付けられた全長38,42m、幅5,46mの船で、1974年から運行しているとのこと。乗客の席は1階と2階にあり、僕と友人は小さな螺旋階段を上がって2階の席に着いた。2階には室外にも椅子があるが、風が冷たく感じられる10月中旬の外は肌寒く、誰もそちらに行こうとはしなかった。

午前10時半の出発時にはほぼ全ての座席が埋まっていた。見渡すと僕たち以外に2組の日本人がいる。一つはご夫婦らしき人達。もう一つはおそらく関西の女性5人組だった。話し方のイントネーションから神戸周辺の人達だと思われる。船は川の流れに沿っているせいか、モーター音がそれほどうるさいわけでもなかったので、日本語はわざわざ聞こうとしなくても自然と耳に入ってきた。船内では観光案内がドイツ語、英語の順で流れている。それを聞きながら僕と友人は、船の窓から見える景色を楽しんでいた。レーゲンスブルクから約11キロ東にあるヴァルハラまではおよそ1時間かかる。少しのんびり出来るということで、友人が用意してきてくれたお菓子やパンを食べた。いつもながら友人は用意がいい。そんなことを話していると船の正面に白色の神殿の姿が見えてきた。

ヴァルハラが見えてきた!それを見て僕は少し興奮していたが、友人は愉快な気持ちになっていたらしい。というのはヴァルハラ神殿はギリシャ・アテネのパルテノン神殿を真似て造られたので、本物のパルテノン神殿を見た人にとっては、ヴァルハラは単なるコピーに見えるらしい。僕にとっては、それがコピーであろうと無かろうと、いずれにしてもバイエルン王ルートヴィヒ1世によって建てられた「本物」に違いない。それが僕には嬉しく感じられた。

船着き場に遊覧船が泊められた。船着き場は非常にシンプルな作りで、船と地面を結ぶ橋がなければ、誰も船着きと気付かないような場所だった。ヴァルハラへはこの遊覧船以外にもバスで行くことが出来るが、現在では船を使っていくのが一般的になっているようだ(運行は4-10月のみ)。王ルートヴィヒ1世は現在僅か人口3.900人弱のドナウシュタウフという小さな村の側に神殿を建てた。極端に言えば何もないような辺鄙な場所だ。

しかし王がここに神殿を建てたのには意味がある。ドナウシュタウフは既に914年、文書にその名前が見られ、レーゲンスブルク司教がここをハンガリーに対する防壁として位置づけ城を建築した。そしてドナウ川に架かる橋が出来、ドナウ川を行き来する船の要所として街は発展した。しかし30年戦争中の1634年1月18日、スウェーデン軍の手に落ち、街に火が放たれ、街は破壊された。しかしその後、トゥルン・ウント・タクシス公庇護の元、再び以前のように発展した。街のその強さに感銘を受けたバイエルン王ルートヴィヒ1世は1826年、ここに神殿を建てることに決めた。しかし1880年、街を襲った大火によって橋も街も壊滅状態となった。同時に物の移動方法も船から鉄道、自動車と変わり、以前のように復活することはなかった。

歴史を見る場合、現在の視点だけで物事を判断すると、正確に物事を見ることが出来ない。現在、非常に辺鄙な場所にある神殿も完成時は多くの人が訪れ、同時にドナウシュタウフも神殿のある街として非常に栄えていたと思われる。ただ現在、その不便な場所に建つ神殿は、その不便さゆえ逆に存在感があるのかも知れない。
 

ドナウ川沿い
ドナウ川沿い

石橋
石橋

ドナウ川沿い
ドナウ川沿い

遊覧船ヨハネス・ケプラー号
遊覧船ヨハネス・ケプラー号

遊覧船船室内
遊覧船船室内

遊覧船から見る大聖堂
遊覧船から見る大聖堂

遊覧船から見る王マクシミリアン2世のヴィラ
遊覧船から見る王マクシミリアン2世のヴィラ
1854-56年に建設された夏のレジデンツ。

ヴァルハラ神殿
ヴァルハラ神殿
 

船着き場
船着き場

船着き場から見るヴァルハラ神殿
船着き場から見るヴァルハラ神殿

 

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