おでかけ ドイツ・ヴィース教会 |
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色々な本で紹介されているので、ヴィース教会の中の姿は既に知っていたが、実際に目にしてみると想像していたよりも礼拝堂の長さは短かく、逆に礼拝堂の高さは想像したよりも高かった。暫く説明を聞いていた。その中で印象的だったのは礼拝堂の天井は平面で、そこにフレスコ画が描かれていると言うこと。天井に描かれた大きなフレスコ画(ドミニクスの兄、ヨハン・バプティスト・ツィンマーマン(1680-1758)によるもの)は緩やかなドーム状に描かれているように見える。その技巧の素晴らしさには驚くばかりだ。その絵はまるで天まで続いているように感じられる。しかし柱と天井を結ぶ箇所にある装飾などをよく見てみると、この天井は真っ平らではなく、スープ皿を裏返したような造りになっていると感じられる。ミュンヘンに帰った後、図書館で調べてみるとそこにはヴィース教会の断面図があり、やはり天井は思ったような曲線を描いていた。それでもそれは天井の端の箇所だけで、天井の中央部分は平面だった。当時の建築技術の高さを改めて思い知った気がした。 ヴィース教会はシュタインガーデンの大修道院長ヒアツィント・ガッスナーの依頼によって、当時最も有名だった建築家ドミニクス・ツィンマーマン(1685-1766)によって1746-1754年に建てられた。既に1743年に教会建設の話しはあったが、オーストリア継承戦争(1740-1748)の影響で直ぐには工事を始められなかった。そして1746年定礎式を行い建設工事が始められた。まず最初に内陣が完成し、1749年聖別式が執り行われた。そして8月31日、鞭打たれるキリスト像がヴィース礼拝堂から内陣へと移された。その際、それに参加した人の数は12.000人から15.000人が参加したとされる。それを示す絵画がヴィース教会内に、そしてヴィース礼拝堂に中に飾られている。ヴィース礼拝堂ではその絵画を飾るために、ドミニクス・ツィンマーマンによってスタッコ装飾がなされた。その後、内陣が完成した翌年1750年から礼拝堂の建設が始められ、1754年に落成式を向かえ、内部の装飾は1765年頃に完成した。
ガイドの人による説明は暫く続いた。それが終わってようやく礼拝堂の中をゆっくりと回ることが出来たが、それぞれの装飾などを近くで見ると、想像していた以上に大きいのが分かる。この教会を建てたドミニクス・ツィンマーマンは、教会完成後もこの教会の側を離れず、教会の直ぐ側に建てられた家で亡くなった(1766年11月16日)。それほどまでにこの建築は彼にとって重要な、そして最高傑作の一つだったのだろう。礼拝堂の中に入って、360度見回してみると、そこには何人かの芸術家によって創られた天上の世界が拡がっていた。それぞれの調和が取れているせいか、この礼拝堂は豪華さはあっても決して派手ではない。そして白と金を基調としているので非常に上品に感じられる。また礼拝堂そのものが、二つの半円から成り立っており、同時に内陣やパイプオルガンの場所も曲線を描いているなど柔らかさが感じられるだけでなく、パイプオルガンの装飾もまるでレースのようで、教会全体から女性的な優しさが感じられる。 しかし元々はヴィース礼拝堂が手狭になったため、新たに作られたのがヴィース教会である。そして本来は鞭打たれるキリスト像を置くための礼拝堂であったのが、ここまで豪華な教会だと、そのキリスト像の存在よりも礼拝堂の方が一人歩きしているような気もする。しかしこれはドミニクス・ツィンマーマンが敬虔なカトリック教徒だったからかも知れない。如何に神に近い世界を創るか、キリスト像を祀るのに相応しい場所とはどのようなものか、作りながら彼は絶えず神を意識していたに違いない。ただ「ドミニクス・ツィンマーマンが建てた」といっても、彼一人だけで煉瓦を積んでいったのではない。そこには多くの人が携わっている。 彼を中心とした建設に携わる人々は、この教会を建てるに当たって祈りを捧げながら作っただろう。そしてそういったそれぞれの人自身の祈りを捧げる場の完成が近づくに従って、これを早く他の人にも見せたいと思う気持ちも出てきたに違いない。建設期間が1746-1754年(礼拝堂部分は1750年以降)は長い・短いなど単純に比較など出来ないが、その時に人々が感じていた気持ちの高ぶりを意識すると、この教会から様々な目に見えない力のような何かを感じることが出来る。 その彼らが創り上げた天上の世界は当時の最先端であると同時に最高傑作といわれる作品の一つであることは今現在、我々の時代から見ても明らかだ。もし例えば、現在の我々がキリスト像のために新たに祀る場所を作るとなれば、一体どのようなものが作れるだろうか。それを意識すると、この教会が当時だけでなく現在においても価値あることが意識され、世界文化遺産に登録されているのが再認識出来る。 ところでこの教会で最も印象的な箇所は最初に完成した内陣かも知れない。キリストの血を表す赤色の大理石の柱、天の恵みを表す青色の柱があるが、それらは一方で祭壇の柱であり、また同時に内陣の柱をも形成しており、非常に立体的な造りになっている。それにしても非常に印象的な赤と青だ。 この内陣は3身廊からなり、また天井も高く(15,20メートル)、礼拝堂内にあるキリスト像移設の絵からも分かるように、後期ゴシック様式のような造りになっている。ところで内陣の完成が1749年で、その際ここにキリスト像が移設された。そして教会全体の完成は1754年と言うことは、その間、一般の信者はキリスト像に祈りを捧げることが出来たのだろうか。
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