おでかけ ドイツ・ヴィース教会 |
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ヴィース教会の直ぐ側には建築家ドミニクス・ツィンマーマンが過ごした家がある。教会建築の際にはここで生活をし、そして完成後にも滞在していた場所である。現在その場所はレストランになっており、観光客や巡礼者など多くの人が立ちよる場所になっている。お店の前ではヴィース・キュヘル(ヴィースの料理)という揚げたパンが作られており、それを作っている女性が大きな声で教会を訪れる人に声をかけていた。威勢の良い声を聞いていると、このお店に入ってみようかなという気にさせられる。時間的にもちょうどお昼だったので、そこで昼食を取ることにした。 このヴィース・キュヘルはミュンヘンでも一般的に見られるものだが(名前は違う)、ここではその場で挙げたものをいただけるというので、食事のパンとしてそれを注文しようとすると、それはデザートだから食後の方が良いとお店の人に勧められた。その通りに食後にカプチーノと一緒に頂いた。揚げたてのパンが運ばれてきた。これは手では直接持てないほどに熱い。中はふんわりとしていて、パンの薄い部分はカリッとしている。甘さもそれほど感じず、もう一つ食べたくなるような美味しさだ。ここで隣に座っていた人達(おそらくドイツ人)と少し会話が始まった。彼らもミュンヘンから来ていると言うこと。ヴィース・キュヘルを見て、それはここの名物だと言っている。彼らは本来がそうなのか、それとも美しい教会を見たからか、または美味しい料理を食べたからか、非常に笑顔のいい人達だった。 暫くするとお店の人が慌ただしく動き出した。どうやら急に雨が降ってきて、外に置いてあるものなどを急いで中に入れているよう。雷も聞こえている。勘定を済ませた後、外に出ようとするとザァーという雨音が聞こえていて、叩きつけるその水しぶきで辺りが曇っているように見えた。ここでもう一度、教会の中を覗くことにした。その時目にしたのが冒頭に書いた結婚式である。
教会をもう一度覗いた後、雨の中、駐車場まで走って戻った。雨はまだ降り続いていたが、その雨はその音から感じられるほど強くなく、それほど濡れずに車にたどり着けた。その後ヴィース巡礼教会が位置するシュタインガーデン(という村)にあるヴェルフェン・ミュンスター(ヴェルフェン大聖堂)に向かった。車で移動すると10分もかからない距離であったが、その頃には雨も非常に強くなり、途中からそれが雹に変わった。遠くの方を見ると雲が切れているのが見えるので、暫くの間、車中で雨宿りをすることにした。 ヴェルフェン大聖堂は1147年、プレモントレ修道会の教会として辺境伯ヴェルフ6世(1115-1191)によって建てられた。大聖堂は1176年、三身廊からなるロマネスク様式で完成した。そして中央身廊は1747年、大聖堂建設600周年を記念してロココ様式で改装された。その中の1741-1744年、ヨハン・ゲオルク・ベルクミュラーによってフレスコ画が描かれ、それはプレモントレ修道会設立者である聖ノルベルトの生涯が描かれている。 大学(ミュンヘン大学)の歴史のゼミで発表したときに、プレモントレ修道会にも触れたので、その名前を聞くとどことなく馴染みがある。雨が弱くなったのを見計らって、小走りで教会まで向かった。教会の中に入ると左に小礼拝堂があり、正面に礼拝堂へのガラスの入り口があった。その重い扉を開けて中に入ると、天井の鮮やかなフレスコ画が、まず目に飛び込んできて、そして内陣が非常に奥行きを持っているのが分かった。 その内陣部分は三十年戦争中の1646年に戦争の煽りを受けて崩壊した。そして1663年再建されたと言うこと。その年はミュンヘンでテアティーナ教会の建設が始まった時である。その時期にこういったスタッコ装飾がなされた内陣が作られたヴェルフェン大聖堂は、当時相当な力を持っていたのだろう。その内陣を見るとその繁栄ぶりが窺える。
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