やまねこの物語

日記 オペラフェスト2006
18)救済と「パルジファル」

風が秋の風になってきた。涼しく感じられるが同時に何か寂しくも感じられる。バイエルン州立歌劇場のホームページを見るとトップに歌劇場総支配人ペーター・ヨーナス卿のお別れの挨拶のコメントが載っている。あと3日で終わる。13年間のヨーナス卿、8年間の音楽総監督ズービン・メータ。あと3公演と思うと、やはり寂しいものがある。

今日は非常に蒸し暑かった。時々涼しい風が吹くにもかかわらず暑い。今日の公演はリヒャルト・ヴァーグナーの舞台神聖祭典劇「パルジファル」である。指揮はアダム・フィッシャー。

そして演出はペーター・コンヴィチュニー。バイエルン州立歌劇場ではいずれもヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」「さまよえるオランダ人」を手がけた。世界的に見ても色々な歌劇場で活躍する演出家である。ただ自分の周りでも彼に対する評価が分かれているように好みが大きく別れる演出家である。

18時を少し回った頃、歌劇場内の照明が落ち、指揮者アダム・フィッシャーが出てきた。ゆっくりとした
前奏曲が始まる。前奏曲はこの作品の主題を要約した音楽で、ヴァーグナー自身によれば「愛・信仰・救済」を表しているということである。

コンヴィチュニーはどのように解釈してこの作品を演出したのだろう。彼は色々な賞などを受賞しているが、それだけ彼の演出は色々な意味を持っている。

「救済」。ヴァーグナーが生涯かけて取り組んだテーマである。他のオペラのことなどを意識しながら、この作品を見ていると、彼の演出の中にある、あることに気が付いた。その存在ではなくて、その意味に気が付いた。正確には「気が付いた気がした」である。それを意識し、この作品を捉えると彼の演出は非常に意味あるものに思えてきた。

ただこれは、はっきりと理解したわけではなく、この演出を完全に理解するには、まだ色々と調べたりしなければ分からないことが多い。しかし「救済」とは何か。もっと別の次元で考えてみると非常に分かりやすいことかも知れない。

自分がこれに気が付いた時、相反する二つの気持ちが感じられた。霧が晴れたようなすっきりとして
嬉しくなるような気持ち。そしてもう一つは、深い海に誰にも知られず飛び込みたくなるような寂しい気持ち。しかしここでは、これは何となくだが、前者は頭で思うこと、後者は心で感じるもの。そういう気がした。心の状態は、ちょっとしたことでも強くなったり弱くなったりする。だからこそ「愛・信仰・救済」が必要なのかも知れない。

この日の演奏は敬虔な静けさを示すような演奏でそれが尚更、演出を際だたせていたようにも感じられる。今回の作品を観て、自分とコンヴィチュニーの、そして「パルジファル」との距離が少し近くなったように感じられた。

公演後の挨拶

公演後の挨拶
 

 

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(2006年8月6日)

 

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