やまねこの物語

日記 オペラフェスト2006

2006年6月24日(土)から7月31日(月)までバイエルン州立歌劇場を中心にオペラフェストが開かれた。今年は2月中旬からの舞台関係者によるストライキが6月上旬まで続けられ、オペラフェストの開催が危ぶまれた。ストが行われている間の演目は、例えばリヒャルト・ヴァーグナー「ニーベルングの指環」までコンサート形式や舞台を簡略化した公演になるなど、様々なところで影響が出た。

今回のオペラフェストは13年間その職に就いていた歌劇場総支配人ペーター・ヨーナス卿、8年間の音楽総監督ズービン・メータにとって最後のオペラフェストとなる。それゆえ今回の演目は、ペーター・ヨーナス卿が就任して以降の作品が選ばれ、ほぼ全てが一演目一公演となった。オペラフェストが終わった今、それを振り返ってみて、上手くいったかどうか疑問が残る。というのは、ほぼ全ての演目が、舞台稽古無しでぶっつけ本番となったからである。

ぶっつけ本番ゆえに、さまざまなミスが目立った。舞台の準備が出来ていないのに、オーケストラが演奏を始めたり、また夕立の影響で指揮者が開演に間に合わないと言うこともあった。しかし練習が出来なかったのは、その過密日程と言うだけではない。今回の新演目、シェーンベルクの「モーゼとアロン」があったからだ。聞けばこれは2年前から練習が始められたらしい。ただストの影響で舞台セットが出来ず、それは外注になったと言うこと。

振り返ってみて、この「モーゼとアロン」の完成度の高さは、過去のどの公演とも比較が出来ない程のものであった。それほどに素晴らしい公演だった。そして今シーズン最後のリヒャルト・ヴァーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」。これを聴くことが出来たのは幸運だった。この公演を最後にバイエルン州立歌劇場宮廷歌手のクルト・モルは(ミュンヘンでのオペラを)引退をした。またリヒャルト・ヴァーグナー「タンホイザー」の休憩中に指揮者ズービン・メータがその前のベートーヴェン「フィデリオ」で実際に使った指揮棒がオークションされ(ペーター・ヨーナス卿が競売人)、そのサイン入りの指揮棒は1.300ユーロで落札された(売上金は託児所に全額寄付)。

そしてもう一つ、今回のオペラフェストと関係があったのが、サッカーワールドカップである。一部の公演が例えば休憩時間が短くなるなど、観客にも配慮された。また「みんなのオペラ」と題された野外コンサートもサッカーの試合時間にあわせて演奏がなされた。

今回のオペラフェストの期間中、気温も30度を超える日々が続き、本当に暑く、そして熱い公演が多かった。個人的には忙しい中、22公演観ることが出来、非常に満足出来た(昨年は28公演)。

以下のそれぞれの日記は別のところで発表したものをほんの一部だけ修正したもの。それぞれのページの写真は、その当日に撮影したもの。

以下の写真は全て2006年7月に撮影したもの。

バイエルン州立歌劇場

バイエルン州立歌劇場
 

関係者出入り口

関係者出入り口
オペラフェスト期間中のみホテルのようになった。

バイエルン州立オーケストラのポスター

バイエルン州立オーケストラのポスター

オペラフェスト2006の配役表

オペラフェスト2006の配役表

公演後のオケピット

公演後のオケピット

公演後の歌劇場

公演後の歌劇場

(2006年8月6日)

 

menu
「日記」のトップに戻る