やまねこの物語

日記 オペラフェスト2006
2)オペラフェストとその歴史

6月28日(水)、バイエルン州立歌劇場を中心にミュンヘン・オペラフェストシュピールが始まる。

ところで欧米で最も古い音楽祭は1876年に第一回目を迎えたバイロイト音楽祭とされているが、その起源はミュンヘンにある。それより前の1854年にミュンヘンの宮廷歌劇場総支配人フランツ・フォン・ディンゲルシュテットが当時、有名だった歌手や役者をミュンヘンに呼び寄せた。しかしこれは音楽祭と言うよりは演劇祭といったものだった。

その後、王ルートヴィヒ2世のもと、リヒャルト・ヴァーグナーがミュンヘンに呼ばれ、幾つかの作品が宮廷王立歌劇場(現在のナツィオナルテアター)で初演された。そして1865年、市内のイザール川沿いに祝祭劇場の建設が計画された。しかしそれは議会によって反対され、結局、祝祭劇場はバイロイトに建設され、そこからバイロイト音楽祭が始まった。(ミュンヘンの建設予定地だった場所には現在、王ルートヴィヒ2世像が立っている。)

そしてミュンヘンでは、バイロイト音楽祭より一年早い1875年、夏の音楽演劇祭が行われた。演劇ではゲーテ、シラー、シェイクスピアの作品が上演され、オペラではモーツァルト、ヴァーグナー、ベートーヴェン、グノー、ヴェーバーなどの作品が上演された。

その後、ヴァーグナーの作品の上演や、「リング」ツィクルス(「リング」の全作品を連続しての公演)が行われ、またリヒャルト・シュトラウス指揮によって「モーツァルト」ツィクルスが上演された。

そんな中、宮廷歌劇場総支配人のカール・フォン・パーフェルが市内に新たな祝祭劇場の建設を提案する。そして祝祭劇場として完成したのがプリンツレゲンテン劇場である。ヴァーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」でこけら落としがなされ、ヴァーグナー作品が上演された。

その劇場が完成した1901年から、二つの世界大戦期を除いて毎年夏にミュンヘンでオペラフェストが開かれるようになった。ヴァーグナー、モーツァルト、リヒャルト・シュトラウスを三本柱として、様々な有名歌手が呼ばれる。因みに音楽祭の最終日は「マイスタージンガー」だが、そう決めたのは音楽総監督だったサヴァリッシュである。

2006年のオペラフェストは、歌劇場総支配人ヨーナス卿、音楽総監督メータにとって最後のオペラフェストとなる。今までの演目を出来る限り上演したいという考えから、新演目の作品を除いてほぼ全ての作品が一演目に付き、一公演となっている。ほぼ毎日違う公演がなされるとあって、歌劇場の人が言うには「歴史上最も忙しいオペラフェストだろう」とのこと。

自分は、金銭的、日程的に全部を観るのは難しいが、それでも幾つか聴くことが出来ればと思う。これからの一ヶ月が楽しみである

 

 

 

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(2006年8月6日)

 

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